『いつかさ、俺たちは、絶対に、世界を震撼させるんだって!』
『紙面にも大きく載って、政府に呼び出されて、国民栄誉賞とかもらっちゃったりするんだぜ!』
『確かに、政府からお呼びは掛かったね』
『だけど、こんなはずじゃ無かっただろ?』
千石清純は、変わり果てたジャッカル桑原の死体を見ていた。
獲物と狩人以外で、死体を見たのはきっと千石が初めてだろう。
「……」
千石はとりあえず今のところ誰にも狙われていなかったし、誰にも会っていなかった。
ジャッカルの死体に会うまで、何事もなかった。
変わり果てたその死体は、顔がないせいで、千石には誰かわからなかった。
ジャージで立海大の誰かだとはわかった。
「…………」
千石はただ無言で、死体を見ていた。
ややあって、口を開いた。
「室町くんが、やったの?」
それは自分の背中を見つめている人への言葉で、名指しされた方は酷く驚いたようだった。
「千石さん…」
木の陰から現れたのは間違いなく室町だった。
でてきた室町の方を向かず、千石は死体に語るようにして繰り返す。
「室町くんが、やったの?」
「…やってません」
「本当に」
千石は室町の方をみた。
笑顔が消えた千石を、室町は初めて見た。
肺がひきつるのを覚える。
「本当…ですよ…?」
「…そう。わかったよ」
そう言って、千石は悲しそうに笑った。
「千石さん、俺を疑っているんですか…?」
「室町くん」
「確かに、俺は、ジャッカルさんとは面識が余りありませんけど、でも」
「室町くん!」
千石はうろたえる室町の言葉を、強く遮った。
室町はびくっと体を震わせた。
千石は、ただただ悲しそうに笑っていた。
「室町くん…俺は、この人が誰だかわからないよ…?」
「……?」
「室町くんは、この人が死ぬところを見ていたんだね?」
「……!」
室町は自分の失敗を悟った。
室町は確かに自分の手を汚していない。
蜘蛛の巣に、獲物が掛かっただけのことで、獲物を選ぶことは不可能だった。
そう、一人では。
銃を持ってるあの人を使えば、蜘蛛の巣に追い込むことは可能。
狙った立海大の二人は、背の高い方が小さい方を逃がすために、視界が広い方に、弾丸が飛んできた方に、蜘蛛の巣の方に走り込んできた。
そして。
人の死のあっけなさに呆然とした。
同時に、物足りなさを感じた。
もっと、もっと、何かあるんじゃないのか?
なんの感慨もわかなかった。自分が直接手を下したからではないせいだろうか?
あの人に視線を向けると、驚いた顔をして凍り付いていた。
まだ、小さい方が残ってる。
「まだ、残ってる…」
呟くと、あの人は呪縛を解かれたように、息を一気に吐いた。
「まだ、残ってる…」
もう一度言うと、あの人は、はっと息を飲んで「わかった」と言った。
そうして狙った小さい方は(あの人から訊いたら、大きい方はジャッカル桑原、小さい方は切原赤也と答えた)、弾丸をよけて、さらに蜘蛛の巣もかいくぐって逃げ出した。
殺せなかった。
それがイライラした。
あの人を見れば、ジャッカル桑原の死に動揺しているようで。
彼が追い込んだわけだから、しょうがないな、と少しだけ納得した。
これから、まだ、人は来る。
そう思って、自分を慰めた。
そうして来た次の人は、千石だった。
あの人は、近くにいない。
赤也を追ってくる、とさっき走って行ったばかりだ。
じゃり、っと一歩千石が室町に近づいた。
室町が一歩下がる。
「…見てました…けど、俺が直接殺したわけじゃ」
「間接的に殺したの?」
「千石さん!」
千石はただ、悲しそうに微笑んでいる。
その笑顔は、聖母マリアのようにも見える。
室町はうろたえた。自分が悪いことをして、千石が怒っているように思えたからだ。
それまで室町は、ジャッカル桑原が自分の張ったピアノ線が原因で死んだことに、何も感じていなかった。
もちろん今も、それが酷いことだとは思っていない。
千石の怒りの原因として上げてみるが、それでも何故怒られているのかがわからない。
そもそも、何故殺したのかも覚えていない。
学校から夢中で走り、ここで武器を確かめて、ピアノ線を見た瞬間、強烈な使命感に駆られた。
無我夢中でピアノ線を張り巡らして、その時にあの人に会った。
銃を持ったあの人を見て、そして。
「せ、千石さんの、知り合いでした、か…?」
じゃり…
「知り合い…そうだね。でも室町くんもそうでしょ?」
じゃり…
「お、おれは…」
じゃり…
憧れのプレーヤーに、尊敬する先輩に、なんとか弁解しようと室町は焦った。
けれど、何を弁解すればいいか、わからなかった。
どうして殺しちゃったの?と千石が静かに訊いてきた。
「うわあぁぁぁああぁああぁぁああぁあああああああああああああ!!!!」
室町は頭を抱えて叫び出すと、踵を返して走って逃げ出した。
混乱した室町に、千石は悲鳴の様な声で彼の名を呼んだ。
ビン・・・ッ!
紐が張る音がして、同時に室町の首が飛んで行く様が千石の瞳に映った。
体だけが走った勢いのまま、何かにぶつかって転んだ時のように、激しく後ろに倒れる。
体が倒れてから、放り出された彼の首が、近くに、テンッ、と落ちてきた。
ごろごろと転がり、木にぶつかって止まる。
千石は手を彼の方に伸ばしたまま、暫く呆然と見ていた。
自分の言葉が、彼を追い詰めたのだと、わかった。
それでも、殺したことの意味を何も感じていない彼に、問わないわけにはいかなかった。
戻れるはずだ、と思った。
問えば、殺人の重さ、罪を思い出してくれるはずだと。
何より、ともにテニスをした日々を思い出してくれる筈だと。
声も、手も、なにも、彼には届かなかった。
追い詰めたかったわけじゃなかった。
救いたかった。
千石は、よろよろと室町だったものに近づいた。
だくだくと、首から溢れ続ける赤は、かつて彼を動かしていた生命。
近くに転がっている、ゴム鞠の様なのは、「千石さん」と親しげに呼んでくれた記憶。
落ちた時の衝撃で、鼻はひしゃげ、眼球が瞼を裂き、頬や口の端に裂傷があり、見るも無残な状態だった。
ぼんやりと、それらをみて、彼の命を奪った、ピアノ線を眺めた。
おそらく、室町が張ったであろう、ピアノ線。
ぽたぽたと赤い汁が落ちるのを見て、ようやく涙が溢れてきた。
流れるままに涙を流し、嗚咽をかみ殺し、千石はピアノ線をゆっくり回収し始めた。
助けられると思った。
なんとかなると思った。
助けられなかった。殺しをさせてしまった。そして、死なせてしまった。
「・・・・・っ」
ラッキーの女神様。
運を使いすぎたからと言って、この仕打ちはあんまりじゃないですか?
三十九番 室町十次 死亡。
[残り 38名]
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