だい じゅういち わ。











『いつかさ、俺たちは、絶対に、世界を震撼させるんだって!』

『紙面にも大きく載って、政府に呼び出されて、国民栄誉賞とかもらっちゃったりするんだぜ!』

『確かに、政府からお呼びは掛かったね』

『だけど、こんなはずじゃ無かっただろ?』


























 千石清純は、変わり果てたジャッカル桑原の死体を見ていた。

 獲物と狩人以外で、死体を見たのはきっと千石が初めてだろう。



「……」



 千石はとりあえず今のところ誰にも狙われていなかったし、誰にも会っていなかった。

 ジャッカルの死体に会うまで、何事もなかった。


 変わり果てたその死体は、顔がないせいで、千石には誰かわからなかった。

 ジャージで立海大の誰かだとはわかった。



「…………」



 千石はただ無言で、死体を見ていた。



 ややあって、口を開いた。




「室町くんが、やったの?」




 それは自分の背中を見つめている人への言葉で、名指しされた方は酷く驚いたようだった。



「千石さん…」



 木の陰から現れたのは間違いなく室町だった。

 でてきた室町の方を向かず、千石は死体に語るようにして繰り返す。



「室町くんが、やったの?」

「…やってません」

「本当に」



 千石は室町の方をみた。

 笑顔が消えた千石を、室町は初めて見た。

 肺がひきつるのを覚える。



「本当…ですよ…?」

「…そう。わかったよ」



 そう言って、千石は悲しそうに笑った。



「千石さん、俺を疑っているんですか…?」

「室町くん」

「確かに、俺は、ジャッカルさんとは面識が余りありませんけど、でも」

「室町くん!」



 千石はうろたえる室町の言葉を、強く遮った。

 室町はびくっと体を震わせた。

 千石は、ただただ悲しそうに笑っていた。



「室町くん…俺は、この人が誰だかわからないよ…?」

「……?」

「室町くんは、この人が死ぬところを見ていたんだね?」

「……!」



 室町は自分の失敗を悟った。

 室町は確かに自分の手を汚していない。

 蜘蛛の巣に、獲物が掛かっただけのことで、獲物を選ぶことは不可能だった。


 そう、一人では。


 銃を持ってるあの人を使えば、蜘蛛の巣に追い込むことは可能。


 狙った立海大の二人は、背の高い方が小さい方を逃がすために、視界が広い方に、弾丸が飛んできた方に、蜘蛛の巣の方に走り込んできた。



 そして。

 人の死のあっけなさに呆然とした。



 同時に、物足りなさを感じた。



 もっと、もっと、何かあるんじゃないのか?



 なんの感慨もわかなかった。自分が直接手を下したからではないせいだろうか?


 あの人に視線を向けると、驚いた顔をして凍り付いていた。


 まだ、小さい方が残ってる。



「まだ、残ってる…」



 呟くと、あの人は呪縛を解かれたように、息を一気に吐いた。



「まだ、残ってる…」



 もう一度言うと、あの人は、はっと息を飲んで「わかった」と言った。

 そうして狙った小さい方は(あの人から訊いたら、大きい方はジャッカル桑原、小さい方は切原赤也と答えた)、弾丸をよけて、さらに蜘蛛の巣もかいくぐって逃げ出した。



 殺せなかった。

 それがイライラした。

 あの人を見れば、ジャッカル桑原の死に動揺しているようで。

 彼が追い込んだわけだから、しょうがないな、と少しだけ納得した。


 これから、まだ、人は来る。

 そう思って、自分を慰めた。



 そうして来た次の人は、千石だった。

 あの人は、近くにいない。

 赤也を追ってくる、とさっき走って行ったばかりだ。



 じゃり、っと一歩千石が室町に近づいた。

 室町が一歩下がる。



「…見てました…けど、俺が直接殺したわけじゃ」

「間接的に殺したの?」

「千石さん!」



 千石はただ、悲しそうに微笑んでいる。

 その笑顔は、聖母マリアのようにも見える。

 室町はうろたえた。自分が悪いことをして、千石が怒っているように思えたからだ。

 それまで室町は、ジャッカル桑原が自分の張ったピアノ線が原因で死んだことに、何も感じていなかった。

 もちろん今も、それが酷いことだとは思っていない。

 千石の怒りの原因として上げてみるが、それでも何故怒られているのかがわからない。

 そもそも、何故殺したのかも覚えていない。

 学校から夢中で走り、ここで武器を確かめて、ピアノ線を見た瞬間、強烈な使命感に駆られた。

 無我夢中でピアノ線を張り巡らして、その時にあの人に会った。



 銃を持ったあの人を見て、そして。



「せ、千石さんの、知り合いでした、か…?」



じゃり…



「知り合い…そうだね。でも室町くんもそうでしょ?」



じゃり…



「お、おれは…」



じゃり…



 憧れのプレーヤーに、尊敬する先輩に、なんとか弁解しようと室町は焦った。

 けれど、何を弁解すればいいか、わからなかった。





 どうして殺しちゃったの?と千石が静かに訊いてきた。















「うわあぁぁぁああぁああぁぁああぁあああああああああああああ!!!!」
























 室町は頭を抱えて叫び出すと、踵を返して走って逃げ出した。

 混乱した室町に、千石は悲鳴の様な声で彼の名を呼んだ。





 ビン・・・ッ!




 紐が張る音がして、同時に室町の首が飛んで行く様が千石の瞳に映った。

 体だけが走った勢いのまま、何かにぶつかって転んだ時のように、激しく後ろに倒れる。

 体が倒れてから、放り出された彼の首が、近くに、テンッ、と落ちてきた。

 ごろごろと転がり、木にぶつかって止まる。



 千石は手を彼の方に伸ばしたまま、暫く呆然と見ていた。



 自分の言葉が、彼を追い詰めたのだと、わかった。

 それでも、殺したことの意味を何も感じていない彼に、問わないわけにはいかなかった。

 戻れるはずだ、と思った。

 問えば、殺人の重さ、罪を思い出してくれるはずだと。

 何より、ともにテニスをした日々を思い出してくれる筈だと。



 声も、手も、なにも、彼には届かなかった。

 追い詰めたかったわけじゃなかった。

 救いたかった。




 千石は、よろよろと室町だったものに近づいた。



 だくだくと、首から溢れ続ける赤は、かつて彼を動かしていた生命。


 近くに転がっている、ゴム鞠の様なのは、「千石さん」と親しげに呼んでくれた記憶。


 落ちた時の衝撃で、鼻はひしゃげ、眼球が瞼を裂き、頬や口の端に裂傷があり、見るも無残な状態だった。



 ぼんやりと、それらをみて、彼の命を奪った、ピアノ線を眺めた。

 おそらく、室町が張ったであろう、ピアノ線。

 ぽたぽたと赤い汁が落ちるのを見て、ようやく涙が溢れてきた。



 流れるままに涙を流し、嗚咽をかみ殺し、千石はピアノ線をゆっくり回収し始めた。







 助けられると思った。

 なんとかなると思った。

 助けられなかった。殺しをさせてしまった。そして、死なせてしまった。










「・・・・・っ」















 ラッキーの女神様。

 運を使いすぎたからと言って、この仕打ちはあんまりじゃないですか?
























三十九番 室町十次 死亡。


[残り 38名]




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