周夫人と熊狩り
「…」
陸遜が甘く囁くように、私の名を呼ぶ。
私は彼のその声を聞いただけで、全身の血が沸騰して蒸発してしまいそうになる。
私と陸遜の距離は後一歩。
陸遜が私をぐって引き寄せる。
「伯言…」
「…」
私と陸遜の顔が近付く。
ぐっ、と。
ぐぐっ、と。
ぐぐ〜っ、と。
「ぅわっ!」
私は全身に嫌な汗をかいて跳ね起きた。
うわ〜…何だかとてもおぞましい夢を見た気がする。
思い出したくもないが、思い出そうにも私の意識はすでに夢の記憶を消去し始めている。
とても見てはいけないものを夢見た気がする。うわ、悪感。
はぁ〜、と溜め息を付いて私は周囲を見渡す。
ここは雑兵用に当てがわれた宿舎。私はまだ戦功を立てていないので、位は低いまま。
はぁ…、もう一度溜め息。
傷が治ってこの方、陸遜の姿を見てない。
いや、見るよ?集合かかったりした時とか、壇上にいる豆みたいな陸遜をね。ん?豆でも見えるんだからいい?それもそっか。
私は暗い思考を止める。
暗くなるにも力がいる。めんどくさい。
そっと私は周囲を起こさないように外に出た。
んーっ、と私は月光浴しながら伸びをする。
季節は春から夏に変わっていく過程。気温は少し低いが風が生暖かく、儒伴だけでも寒くはない。
完璧夏になったら蛍が出るかな?江河は流れが早すぎて無理かな?
あ、でも、この辺に、沼か池があったな。
私は月を見上げる。
半月。船の形。明日は雨かな?月は明るいけど。
私は欠伸を一つ。
別に眠くはないのだが…池だか沼だかを探しに行ってみようかな。
うん。運動したら寝れるだろうしね。私は沼だかを探しに出かけた。
森の中。
ほぅ…ほぅ…
梟か?
はは、まあ、梟なんかこの際どうでもいい。
迷った。
ここは何処?誰か助けて。
あわわわ。もう、あわわだよ。あわわわわー。助けてー。
「そこで何をしてるんです?」
凛とした少年の様な声。
陸遜だ!をを、天の助け!今君がにあわねぇ素敵な微笑みを浮かべても、天使の笑顔と思って愛せるずぇ!
「は」
「あーん、見付かっちゃったー」
私とは別な方向から、少女特有の甲高い声がした。
え?誰?
陸遜の溜め息が聞こえる。
「誰かと思えば…脱走者と勘違いしてしまい申し訳ありません」
「ぜーんぜん、気にしないよ☆陸遜も遅くまでお仕事大変だね〜」
……どうやら私は陸遜の視界に入ってないらしい。
て言うか誰よっその女っお母さんは許しませんよっ(?)
木陰に隠れ必死で殺気を押し殺す。殺っちゃう?ダメダメ。
「誰か他にいらっしゃいますか?」
「ううんー。いないよー。私は熊さんと遊んでただけだからー」
熊と相撲ってか?金太郎か、お前は。
心では激しい突込みを入れているのに、体は硬直して動けない。
私は、唯そのまま彼らを見送ってしまった。
夜が明けるか明けないかくらいに、私はようやっと、宿舎に戻れた。
翌日課せられた仕事は、蒔き拾い。まぁ、これが全てじゃないけどさ。
昨夜迷った森で拾っていると、昨夜陸遜と親しげに話していた少女を発見した。
・・・・なにしてるんだ?
よく見て見ると、
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
熊ーーーーーー!!!!!!!?????
少女は熊相手に構えていた。
ええええええ!昨日の言葉はあながち嘘でも無かったってこと!?
熊が吼える。
あ、あぶなっ
私が止めに入ろうとしたとき、
「ソーレ☆」
熊が振り下ろすより、私がその場に着くより早く、少女は、可愛らしい声と共に、大扇(鉄扇?)で、熊の首をスパンと刎ねた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
でぇえぇえぇぇえぇええええ!!!!????
あ、ありえねぇ・・・・
「お?」
少女が私に気づいたようだ。
わわわ。ごめんなさい。昨日「殺っちゃう?」なんて考えてごめんなさい。あああああ。
混乱に陥ってる私に、少女はにっこりと微笑んだ。
「あー、ちゃんて人だー☆」
・・・・・ちゃんなんて、初めて言われたかも・・・
私は、「あ、ども」と軽く挨拶した。
「ねーねー、これ見張っててくれる??」
「へ?あの・・・」
「お願いねー♪」
私が了承する間もなく、彼女は凄い速さで駆けて行ってしまった。
・・・・・何者だ、彼女は。その前に、人間か?
私は所在無げに、首無し熊の死体の横にちょこんと座った。
しばらくぼーっとしていると、
「・・・・・こんなところで何してるんです?」
凛とした少年のような声が、後ろからした。
慌てて後ろを見ると、陸遜が立っていた。
凄い不審そうな顔でこちらを見ている。
「こっちが知りたいくらいです・・・」
「は?」
「昨夜、陸軍師と会話をしていた女性がですね、この熊を私に見張っててと言って、何処かへ行ってしまったんですよ」
「昨夜・・・・?あ!、貴方夜中に抜け出しましたね!」
「いやーまー・・・あー・・・そうです。ところで、陸軍師、その女性との関係は?」
「は?関係も何も・・・だって、その女性は」
「周瑜様!早く!早く!」
陸遜の声を遮って、少女の甲高い声が響いた。
「ああ・・・これはまた、随分大きな熊を仕留めましたね、小喬」
周都督が、小喬と呼んだ彼女に向かって、溶けるような笑みを返した。
陸遜が彼らに聞こえないように、私にそっと耳打ちしてきた。
「彼女は、周夫人。つまり、周瑜殿の奥方さまですよ」
世の中には知っちゃあいけないことがあるってことね☆
周都督、私、あなたの将来設計が可哀想でなりませんわ。
あの森に行くと、小喬様とは、よく出会う。
あの無邪気な顔で、遊んだり、狩をしたりしている。恐ろしい。
寧将軍の話だと、戦場でもああいう感じなんだそうだ。
・・・・・・・・・・・・あんな生き物に殺された日にゃあ、死んでも死に切れないかも・・・・。
ああ、そういや、陸遜はどんな人が好みなのかな。
・・・・・・・・・・・・・知らないほうがいいことも世の中にはあるから、気にしないでいよ。
戻 次