櫛
視察の為に、町に下りてみた。
建業の町。城下町が栄えるのは、それだけ呉が豊かだという証拠。
呉の武将、呉の役人だと分からないように、できるだけ軽装にし、双剣は置いてきた。武器は肉体と、暗器のみ。
何事も起こらないことを祈りつつ、裏門からそっと出た。
別段、悪いことをしているわけではないのだが、まだ場内で、政務の終わっていないであろう、周大都督のことを考えると、どことなく後ろめたくなる。
それに、あの喧しい旧友にも気取られることもないし。
激昂したの顔が脳裏に浮かび、思わずくすっと笑ってしまった。
思い出し笑いする人って、なんていうんでしたっけ。・・・まぁいいや。
この前、殿たちとココに来たときは面白かった。
とああして、露店を巡るなんていうのも、一体どれくらい昔にあったことだろう。
考えてみたが、正確な日にちは思い出せない。少なくとも、彼女が呉国に従軍してからは、そんなことをした記憶が無い。
彼女を拾って、一体どれくらいの月日がたったのだろう。
光陰矢のごとし。歳月なんてあっという間だ。
月日の中に、手のひらから零れ落ちたものは沢山あった。
残ったものなんて殆どなかった。無くなってしまった。
この、小さい手。
守りたかった。守れなかった。守らなくてもいいものがほしい。そんな都合の良いものなど落ちては居ない。
ため息を吐いて、人ごみの中に入る。
喧騒やざわめきが心地よい。平和に活気付いている。
肉まんを一つ購入し、食べながら露天を見物する。
ふむ、品揃えも、前のときからあまり変動ありませんね。
悪い傾向ではないでしょう。次の戦に耐えられるだけの状態ではありますね。
・・・あ。
視界に入った煌きに、思わず腰を屈めた。
「お、兄ちゃん、彼女への贈り物かい」
露商の主が笑顔で声を掛けてきた。
それに曖昧に笑って、目標のものを手にとって見た。
がキレイだと言っていた。赤い石の入った簪。
彼女は赤が好きなのだろうか。
には、赤より、青の方が似合う気がする。
・・・でも、輝いている方が、彼女らしい、か。
一通りそれを検分して、破損箇所など無いか確かめて、気がつくとそれを購入していた。
・・・・ま、いいか。
、喜ぶかな。
笑うかな。
なんていうかな。
想像するだけで面白くなってきた。
ああ、そうだ。
郁様とのことを弁解しよう。
軍議で決まって仕方がなかったって。
僕から、殿に進言したわけでは無いって。
踊るように歩きながら、楽しい気分で城下を一周した。
さて・・・は、どこに居るのでしょうか・・・。
軽装のままじゃ何か言われそうだったが、彼女にコレを渡すだけだ。
城内の奥まで行かなければ、文句は言われないだろう。
部屋にも居なかった・・・とすると、鍛錬場でしょうか・・・・。
私は、そこに続く回廊を歩いていった。
と、誰かの笑い声が聞こえた。
あ。
の声も混じってる。
そっと、回廊の影から様子を伺った。
「ほい、には、コレな」
「え!いいんですか!寧将軍!!」
「いいって。お前も武将だからって、少しは女らしくしろよ」
「はは。でもありがとうございます!」
甘寧殿が、ご自分の部下に何か配っているようだった。
そういえば、何処かへ偵察に行っていた様な。その帰りか。
が、嬉しそうに、頬を染めて、甘寧殿から何かを受け取った。
何だろう。そんなに嬉しいもの?彼は何を送ったのだ。
は、髪を纏めていた巾を解き、貰ったそれを、髪に刺してみせた。
・・・・!
簪・・・?
・・・・・・・・・・・。
ばぎ
手の中から、何かが割れる音がした。
ぼんやりと、手のひらを開いてみると、簪の飾りが粉々になっていた。
飾りの赤い石。
破片が手のひらに刺さり、いつのまにか、血まみれになっていた。肘を伝って床に垂れそうになる。
これはなんでしたっけ?
そんなことを、頭の隅で思ってしまう。
ああ、そうだ。簪だ。
なんで、私はこんなものを買ったんでしょうか?
彼女と私は、何の関係も無いのに。
ぼっとしていたら、血は溢れる一方。ちょっとした一大事だ。
そりゃあ、こんなものを握りつぶせば、誰でもこうなりますよね。
懐から、布を取り出し、手のひらを圧迫するように巻きつけて、簡易処置を施した。
こんなに出血したのに、不思議と傷自体は痛くなかった。
さっさとこの場から離れたくてしょうがなかった。
簪の残骸をその辺に打ち捨て、私は自室に戻った。
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