夏の夜
遠くで祭りの音がする。
多分今回の戦の勝利の宴の声だ。
時節は夜。
夏場で閉めきってると暑いので、天幕の入り口は巻いて止めてある。
入り口に背を向けている私に、涼やかな風が賑やかな音を運んで来ているのだ。
私が入り口に背を向けているのは至極簡単な理由から。
中が明るい場合、中からは外の様子が見えにくいが、外からは中の様子が見えやすい。
外から奇襲を受けたとき、多分一番的になりやすいのがこの位置なのだ。
私が殺られてる間に他の人は警戒できるし、戦いに備えることができる。
なんでこんなに私が周囲に気を配っているのかと言うと、この天幕の中に策様の妹君、孫尚香様がいらっしゃるからだ。
じゃなきゃこんなことしないし。
私がそういう理由でここに座ってる人は少ないと思う。自分でもこじつけっぽいし。
こっちは女性用、とまでは言わないが女性ばかりの宴。男性は向こうの方でしている。
私も初めはそちらに混じって居たが、何故か陸遜に怒られて、結構な勢いでつまみ出された。
それでここに来て座る場所が入り口付近しかなかったんだけど(あ、言っちゃった)
私は背後を見やり、遠くの宴の明かりを見る。
別に私がいたっていーじゃん。陸遜のバカー。帽子ハゲー。(帽子禿げとは禿げ頭を帽子で隠してる人のこと、私の造語)
私が舌をそちらの方に向かって出した。
と、フッと宴の明かりが消えた。
え?私は少し慌てた。どうしたんだろう?敵襲かな?悲鳴は聞こえないけど
「あっちの明かりが消えたけどどうしたのかな?」
近くの女戦士に訪ねてみる。どこ?あっち、あっち。
私が指差した方角を見て彼女はくすり。
なんだぁ?
私がいぶかしんでいると
「まぁ、夜のお楽しみってやつよ」
と、近くに居た別の女性と共にくすくす笑った。
????
「夜のお楽しみてなに??」
私の疑問に彼女たちはくすくす笑うだけ。
「とぼけちゃって、わかってるくせに」
わかんねーよ。勝手に理解するな。
「ああ、様はあっちに陸遜様がいるから心配なのね」
ここでも字で呼ばれる私。
後に『様』をつけられてる辺り、私を殿方と勘違いしてるのだろう。
困った。けど、別に訂正する気もない。めんどくさいし、友達作る気もないし。
心配?まぁ、言っちゃあそうだけどさ?
にやにやしてる彼女たちの言ってる意味は多分違う意味なんだろう。わからん。命以外の何を心配するんだ?
「夜のお楽しみって言うのは男と女の睦事よ」
…………え?
彼女の言葉が右から左に抜けた。彼女は今なんて言った?
「様は結局のところ陸遜様とどういう関係なの?」
「どうもこうも、幼馴染みだけど」
「好き合ってるんじゃないの?」
「別に今は喧嘩してないけど」
「やだぁ、そう言うことじゃなくて」
じゃあどういうことだ。
「いつか祝言あげるなかなのか、て事」
………はぁー??!!!
「はぁ?!何??なんでそこに飛ぶんだ?!」
「だって陸遜様と仲いいじゃない」
「仲が良ければなら、甘寧将軍とはどうなんだ!?」
我ながら無茶苦茶なことを言っている。
「いいかも…♪」
「よくない!」
妄想入ってきた彼女らに一喝。原因を与えたのは私だけど。それはそれ、これはこれ。
「でも、あっちにいるって事はやっぱり意中の女性はいない、てことかしら」
髪を束ねた女性が言う。
ズキ。痛っ。心の蔵付近が叩かれたように軋んだ。
??
「あら、出ないと失礼だからじゃないかしら」
「別に誰とでもやれる人だったとしてもいいんじゃない?陸遜様になら一度抱かれてみたいわ」
くすくすくすくす。
勝手な話が飛び交う。
私は胃の腑が波打つ感覚を覚えた。反射的に口を手で覆う。
聞きたくなくても聞こえる。理解したくなくても分かってしまう。
私は天幕から失礼して外に出た。
走る。
気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い…
以下終りなく繰り返される文字。
声が、淫らな声が聞こえてきそうで耳を両手できつく塞ぐ。
雑木林まで走り抜けて私はその根本に嘔吐した。
苦しくて涙が出た。
どうしようもない嫌悪感が吐いても吐いてもまとわりついて離れない。
私は幹を叩いた。拳で。
ダン!ダン!ダン!ダン!だだっこの様だ。あー、格好悪い。
涙と嫌悪感が止まらない。
未体験者故?性的行為に対する恐怖?胸に殴られたような衝撃が続く。裏切られたような気分…?
「…そこで何をしているんですか?」
いつも伯言が私にする第一声。
でも、悲しいかな、この声の主は陸遜じゃない。声質が違う。
私はそちらを睨み付ける様に振り向く。
心配そうにこちらを見ている、周都督の姿がそこにはあった。
「しゅ、周都督!」
私は睨み付けてしまった自分を恥じて、慌てて叩頭する。
困ったように笑う気配。
「気持ち悪いんですか?」
「いえっあの・・・っいや・・その・・・」
何をどういえばいいのか分からずしどろもどろ言っていると、ぽろぽろ涙が出てきた。
ぐは!周都督の御前で何を恥さらしな!
「お茶、飲みませんか?」
「え?」
「外に出て少し喉が渇きました。ご一緒して頂けませんか?」
そう言うと、月に映える様ににっこりと笑った。
相も変わらず美人です。周瑜様。
ぽ〜っとしてる私に、にこにこ笑いながら、手招きしていらっしゃる。私はお言葉に甘えて付いて行った。
「周瑜さま〜っ♪」
周都督の天幕をくぐると、小喬様の攻撃差ながらの体当たりが来た。ぐふぅっ!
飛びついたのが違う人物だと分かると、あれ〜?と可愛らしく小首を上げて見上げてきた。
私たちの様子に、周都督はくすくす笑いながら、
「小喬、すみませんが、お茶を二杯ください」
「あ、周瑜様だ!はーい♪」
元気に返事をすると奥へパタパタと駆けて行く。
その後姿を見送っていると、目の前に布を一枚差し出された。
?
「顔、洗います?」
あ!私さっき吐いたよ。をい。
顔がぼっ!と赤くなるのを感じながら、私は慌てて一礼して、顔を洗いに行った。渡された布で水分を拭う。
・・・後で洗濯するか、新しい布を用意しよう・・・
とぼとぼと沈んで帰ってくると、小喬様がお茶を用意してくださっていた。
「はい☆どーぞ♪」
「あ、ありがとうございます」
矢鱈滅多ら楽しそうに手渡してくる小喬様に、やや気後れしながらソレを受け取る。
ほわんと、湯気と共に華のような香りが鼻をくすぐる。
「あ、あの、周都督・・・」
「はい?」
「先程は、その、申し訳ありませんでした」
項垂れる私に向かって、周都督がふわりと笑う気配がする。
そして何も言わずに、お茶を飲む。
私は顔を上げて、手に持っていた杯を口の中に傾けた。
少し甘味のある不思議な味だった。
周都督は何も言葉を発しない。
小喬様は既に奥に行っている。
沈黙だけがその場を支配しているが、苦痛な沈黙ではなく、周都督の放つ柔らかい気配を含んだ沈黙。
周都督は私が何か言うのを待っている。
私は、そのふんわりした雰囲気を十分に堪能して、何を言えばいいのか考えた。
と、ぽっと頭に浮かんだ言葉があった。
「周都督は、その、あちらには行かれないんですか・・・?」
「あまり、好きではないですから・・・」
「え?」
「こちらの方はあまり楽の事を知らないようでして、初めは参加させて頂いてましたが、気分が悪くなって」
眉を八の字にして微笑む。
「・・・殿もあちらに居られるんでしょうか?」
「どうでしょう?伯符様の行動を強制できる権利は私にはありませんから」
「予想では・・・?」
「いる、のではないでしょうか?伯符様は宴とかお好きな方ですし」
「大喬様がいらっしゃるのに?!」
「殿・・・?」
声を荒げてしまった私に、周都督がきょとんと名を呼ぶ。
私は、口の中で小さく、申し訳ありません、と呟きながら項垂れる。
へこんだ様子の私をしばらく眺めてらした周都督は、静かに笑った。
「太陽と月。光と闇。白と黒。善と悪。生と死。自分と相手。好きと嫌い」
「・・・・周都督?」
突然、相反するものを並べだした周都督を、私は不思議そうに見た。発言の意図が不明だ。
「すべての事柄には相反するものがありますね」
「ええ・・・はい・・・」
「私は騒がしいところを好みませんが、伯符様はそういうざわめきが好きです」
「・・・・・」
「だから、彼はどうなんだ、と言うと、私の中では伯符様は伯符様でしかありません。ざわめきの中にいるのが好き、だと言うだけで、他の方と同じ性格であるようには括れません」
「・・・・・はぃ」
「例えば、とある場所で事件が起こった。知り合いがその場にいたとする。でも、私はその人が事件を起こしたとは絶対に思わないでしょう」
「どうしてですか?」
「その場にいたからとて、全員が全員事を起こすはずがありません。それに、私はその人の性格や内面を知っていますから」
決してそのようなことをしないと理解できます、と言うとにっこりと笑った。
私は周都督の笑顔をみながら、
「もし、していたらどうしますか・・・?」
「そうなったとしても、彼によっぽどの事情があったのだとわかりますから。
私に彼を束縛する権利はありません」
束縛する権利はありません。
束縛する権利はありません。
束縛する権利はありません。
束縛する権利はありません。
束縛する権利はありません。
束縛する権利はありません。
なんだか、私に言われてる気がしてならなかった。
周都督の天幕を出る。
夏の匂いと共に風が頬を柔らかく撫でる。
天気は良いので、明々と照らす月が私の足元を安定させてくれる。
踏まれた道草が、風の力を借りて私の足にささやかな抵抗を打ちつける。
ここには緑がある。
私は昼に戦場であった方角をみる。
あっちは煌々とした大地だった。
その上には誰にも弔われない死体?
「?」
遠に何度も声変わりを経験したはずなのに、未だ少年の様なその声。
泣きそう?
泣くな!
振り向く?
逃げるな!
笑え!笑え!!笑え!!!
「陸軍師」
私はにっこりと笑って振り返った。
私の笑顔に伯言が怯んだような表情を浮かべる。
「変な顔して何してるんですか」
失礼な。
「申し訳アリマセン」
喉が引きつって声が裏がえったが、気にしないことにした。
慌てて訂正する方が恥ずかしい。
「何かご用でしょうか?」
うかつに感情を込めると泣きそうになるので、平坦に声を発する。
わざとらしくなく明るい声を出せるほど器用ではない。
伯言がなんとも形容しがたい表情でこちらを見ている。
早く立ち去ろう。
私の強靭な精神力も限度がある。
「ご用がないのなら失礼します」
私は軽く会釈してきびすを返す。
「」
「陸軍師は私目などに構う暇などないはず」
意味だってないだろ?
私は貴方を束縛しすぎた。
今だって貴方をダレが占領してるかを考えるだけで、いらいらする。
貪欲な独占欲。
早く直さなきゃ、火傷どころじゃすまなくなる。
「…何かあったんですか?」
私は顔だけで振り向く。
「ご心配なく。軍に関わる事ではありません」
暗に、ほっとけ、馬鹿が、と言っている私。
「そうではなくて」
「他に何かあると?」
伯言の声を遮る。
知らず怒鳴るようになっていた。
彼の表情や動きが止まる。
私の拒絶を直に理解したからだ。
サスガ陸遜、アッタマイー。
「…失礼します」
私は走って立ち去った。
振り返らずに走ったが、陸遜が月明かりを浴びてこちらを見ていることはなんとなくわかった。
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