「!」
「おはよう愛子。元カレは騙せたんだし、その後色々面倒な事態の中に私を放り出したから、罰金云々はチャラね」
「ちゃっかりしてるわね…。ってそうじゃない!昨日大丈夫だった?」
「もう駄目。アンタのこと恨み殺そうかと思うくらい駄目。しばらく変装も中止、足痛いもん」
「足?」
「…まあ色々あったうちの一つだよ。心配しないで、解決してるし」
「そう…?ならいいけど…」
朝自習の時間に一時間目の宿題をやっている私に、愛子がやってきたので、以上の会話をした。
愛子が、ちょっと申し訳なさそうな顔で昨日の事を心配してくるから、私は見栄を張ることができた。
昨日痛めた足首は結局完治せず、靴下の中、冷えピタに冷まされながら疼いている。
本当は湿布の方がいいんだろうけど、臭うから学校に付けてくるのはNGなんだよね。
なんとなく足をプラプラさせていると、机の横に掛けていたカバンを蹴ってしまった。おっと。
向きが変になってしまったカバンを押さえ、ふと、カバンの中に眠っている冷却スプレーの処遇を考える。
「愛子」
「ん」
「君にチャンスをあげよう」
「はあ?」
私はカバンの中から冷却スプレーを取り出す。実は新品だ。
「これを仁王くんに届けて欲しいんだけど」
「え?なにどういうこと?」
「昨日の忘れ物、ってこと。頼まれてくれる?」
「当たり前じゃん!やだもーったら!」
「いたいいたいっ」
興奮した恋する乙女は、手加減ってものを知らないから困る。
バシバシ背中を叩く愛子に、痛みを訴えたがシカトである。
なにはともあれ、冷却スプレーをどうにかする手段が見つかって良かった。
昨日の今日じゃ、会うのに勇気がいる。
最終手段として、げた箱にでも突っ込んでこようかと思っていたが。良かった。
せっかくのお近づきになるチャンスを不意にするようだが、この際しょうがないよ…。
見てるだけがやっぱり一番いい。
多分、彼に関しては恋じゃなくて、憧れなんだろうな……。
テレビの向こうの住人のように。フィルター越しの関係が一番安心する。
バシバシ叩く愛子の手と、これからの妄想伝を語る愛子の口が止まったのは、予鈴がなってようやくだった。
思わず机の上で脱力。宿題を終えぬまま授業を迎えた。
昼休み、出陣する愛子を見送ってから、私は人目のつかない場所に行きたくて、外に面した非常階段の出入り口を開ける。
ここは演劇部が発声で使う場所の一つ下だが、演劇部員以外滅多に利用することがない。部員だって部活中以外来ないだろう。なにもないし。
燦々と日が当たる場所とそうでない場所がくっきり二分されている階段の、日陰の部分に体を収める。
今日も良い天気だ。夏が近づいてくる感じがする。
まあ夏が来たからって、どうと言うことはない。大会に勝ち残れなければ、私はただの受験生になるだけだ。
もっともエスカレーターだから、一般受験より厳しくないんだけどね。
「あー……」
馬鹿みたいに口を開けて声を漏らす。
なにやってんだろうな、私。中学最後の年だってのに。
あー考えるの面倒くさい、ちょっと昼寝しよ。
携帯を取り出してアラームをセットする。これで寝坊することはない。
携帯を胸ポケットにしまい、コテンと頭を壁にぶつけて目を閉じる。
瞼越しにまぶしい太陽の光と、さやさやと優しい風の流れを感じる。喧噪は遠い。
とろとろと這い寄ってくる微睡みに身を任せていると、手の甲にさわさわとした感触が走った。
虫?
目を閉じたまま虫らしき感触を振り払う。
べしっ!
…なんか叩いた。
「…ピヨ」
なんか鳴いてる!
驚いて目を開けると、私のカツラを手に持った仁王くんが、頭を押さえてこっち見てる。
ぎゃ!
「にににに仁王くん!?」
「おー痛、いきなり攻撃しとうとは酷いんじゃなかと?」
大分?
いやいやボケてる場合じゃない。
「ごめん!全然気づかなくて!手に虫が止まったかと思って!ごめん!」
「いいんよ。こっちこそ起こして悪かったのう。カツラだけ置いてこうとしたのが仇になったか」
うまくいかんのう、とボヤく仁王くんは、コートの上の時と違って、なんだか私と同い年のように見えた。
「わ、わざわざごめんなさい。使い古しですけど、差し上げましたのに」
「なんでじゃ?大切な商売道具じゃろ?」
「……もう真似しませんから」
「どうして」
「本人にバレたら、その人のは止めることにしてるんです」
「ほう。今まで誰にバレた?」
「……仁王くんが最初」
「わし誰にも言わんよ?」
「私が恥ずかしいから、やらないんです」
「…そっか。寂しいのう」
「え?」
意味が汲み取れず、私は聞き返す。
仁王くんはニヤリと笑うと、
「お前さん、これからちぃっと付き合うて欲しいんじゃが」
「え、な、なんですか」
「そんなおびえなさんなって。この階段を上がっていけばたどり着く、屋上へきて欲しいんじゃ」
「屋上?」
「屋上やのうてもかまわん。足場が安定してればどこでも」
「足場?」
さっきから鸚鵡になっている私に仁王くんは「そうじゃ」と言い、腰を上げた。光の下で燦々と笑う。
「来てくれるじゃろ?」
確信を持って聞いてくる彼に、私はただ頷いたのだった。
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