それは、こんな顔かい?


















「あつっ…」



 屋上に上がって一番最初の感想は「暑い」だった。

 季節は初夏に入り始めたとはいえ、いまだ6月。梅雨がきたっていい頃合いだ。

 それなのに雲一つ無い空に浮かぶ灼熱の星は、遮蔽物の無い屋上に逃げ場所がないほどの陽光を注いでいる。



「ホレ」



 暑さに呆けていると、仁王くんがなにかをこちらに放り投げた。

 物の大きさに手のひらで受け止めることができず、慌ててそれに抱きついた。


 なに、これ…



「…ラケット?」



 テニスのラケットだ。昨日使ったのより重い気がする。

 「そうじゃよ」と頷く仁王くんは、それだけで床に座った。


 え?私何をすればいいの?


 オロオロするばかりの私に、仁王くんはあぐらをかいた片膝に頬杖をつく。



「サーブ」

「え?」

「テニスのサーブ、打ってみんしゃい」

「ええ!?でも、ボールもないし…」

「打つ振りでよか。ああ、足に気をつけてな」



 何のために?

 にこにことご機嫌の仁王くんは、予定を変更する気はさらさらないようで、私は仕方がないので問答を飲み込むことにした。


 サーブったってな…普通に、こう、片手でボールを上げて、ラケットで打つ。


 一応真面目にやったのだが、仁王くんはこちらをじっと見たまま何も言わない。

 わ、私なんか間違えた!?サーブってこうじゃないの!?だって昨日やったとき相手の人何も………あれ?



「なあ」



 仁王くんは、なんで私が昨日の変装女だと言うことがわかったんだ?



「わしのサーブを打ってみい」

「…仁王くんのサーブ…?」

「そうじゃよ」

「う、打てないよ」

「振りでいいから」

「そうじゃなくて…っ!なんで…っ!」

「なんで、昨日のわしがお前さんだとわかっちょる、と言うことか?」

「…………うん」

「簡単なことじゃよ。ミステリーでもなんでもない。強いて言うなら運命ってやつかの?」

「…うん?」



 聞き流したが、いま仁王くんらしからぬことを言ったような・・・。



「その一」



 多少明後日を見ながら人差し指を押っ立てる彼の様子を見たところ、聞き間違いではなかったようだ。

 そして、ごほんっと咳払いを一つし、種明かしをし始めた。



「昨日のお前さんの相方の顔は、変装してたわけじゃないから普通に分って当然じゃな?」

「うん」



 私が頷くか頷かないかのところで、仁王くんが後ろのポケットから冷却スプレーを取り出して、トンと地面に置いた。

 そんなポケットに入るような大きさじゃないような気がするけど・・・。あれぇ・・・?

 仁王くんはスプレーの頭を指先で弄りながら、話を続ける。



「さっきその子が、冷却スプレーを持参してきよった」

「……うん」

「わしは、人違いじゃろうと言ったんじゃが、彼女は違わないと言って一歩も引かん。
 そこで、わしはこう言ったんじゃ「冷却スプレーは無くしたんやのうて、人にあげたんじゃ」と」

「…………」

「そしたら顔を真っ赤にして、「のやつっ」と小声で毒づいとった」



 わしは意外と地獄耳での〜、と付け足す。

 細かく彼女の演技を仁王くんがしてくれるが、その滑稽さを笑う余裕は私になかった。

 やばい、愛子に殺される。

 そういえば、そうだよね・・・もう途中から素だったから忘れてたけど、私名乗ってなかったし、仁王くんも私が誰かまでは分かっていなかった。

 ・・・・まぁいいじゃん!お話するきっかけあげたんだから!(逆ギレ)

 私の内心を知るよしもない仁王くんの種明かし編は続いている。



「「、と言うのはのことかの」と問えば、そうだ、と返答があった。…多少ばつの悪そうな顔はしとったよ」

「……はあ、そうですか」

「怒りなさんなよ?わしの手にかかれば、踊り出さないやつなぞおらんからの」



 その中に今この場にいる私も入って居るんでしょうね。

 もう、私ったらのこのこついて来ちゃって。まぬけちゃんだわ。

 浮かれてるのかな。浮かれてるんだろうな・・・。ああ、なんか凹んできた。



「その二」



 仁王くんがピースする。

 そして下から、私の顔をのぞき込むようにして、自慢げに口の端を上げる。



「わしは『』のことなら前から知っとった」

「……………………え?」

「お前さん、テニスの試合見に来とるじゃろ」

「う、うん」

「で、絶対に応援しないのな」

「し、してないわけじゃないよ!」

「しっとるよ。…でもわしが出とる時はしないじゃろ?」



 そう、かな?そんなことないと思うけど…。



「言い方が悪かったか。圧倒的に立海優勢の試合は、苦しそうに見てるだけぜよ。お前さんは」

「苦しそう…って…。まあ…弱い方を応援したくなる性分なもので…」



 だいたい、仁王くんもだけど、切原くんとか、辞書でスポーツマンシップを引いて見ろ、と言いたいくらいテニスのことになると柄悪くなりすぎだよ。



「甘っちょろいの」



 仁王くんが、ぽつ、と漏らす。



「ま、それがお前さんさんの才能の秘訣かもしらんな」



 才能?



「…一番前にいる癖に、ろくに応援もせんから、目に留まってな。参謀に聞いたんじゃ。「あの一番前センターに座って、赤也を睨んでいるうちの女子生徒を知っとるか」っとな」

「……睨んでた?……ごめん」

「いや、よかよ。赤目になった赤也の行動は、女子にはちぃっときついじゃろうし。…柳は「去年クラスメイトだった、確か名は」そう答えた。柳は名前しかしらんかった」

「…名前覚えてるだけでも驚きだよ」

「そうか?わしでも一年経っても覚えておるよ」



 …もう、なんなんだこの話は。

 期待ばかりしちゃうじゃん。やだよ。

 もう。

 どうにでもなれ!

 頭の中で、試合の様子を再生する。二回ボールを弾ませ、ボールを上げる。上半身を軽くひねり、振り切るより、正面を向いた位置にインパクトを持ってくるようにして、下に向かって打つ!



「……!」



 仁王くんが何かを言ったような気がして、頭の中のストップボタンを押した。

 仁王くんが立ち上がって、こちらに歩いてくる。



「すごいの」



 そう言いながら、



「まるで、わしがおるみたいで、妙な気分じゃった」



 そう続けた。



「お前さん、演技うまいのう」

「見本がないものは下手ですけどね」

「そんなことないとないぜよ」

「舞台見に来てくれたことあるんですか?私が演技で誉められたことなんてありませんよ」

「わからんやつにはわからんのじゃ。見本がないものを演ずるお前さんが、本物のお前さんじゃと思うよ」

「え?」

「話聞いとっても、見とっても、お前さんが鏡のように相手の気持ちになれるのはようわかった。お前さんが誰かに左右されないのは、誰かの皮を被っている時だけと言うのも」

「…どういうこと」

「なあ、わしの自惚れかもしれんが、階段で会った時からは『』を演じてなかったんじゃろ」

「…言ってる意味が…」

「わからんか?すまんのう、感覚的なことじゃから…まあ要約すれば、わしはお前さんのこと好いとるっちゅうことぜよ」

「…………はい?」



 なんか今とんでもないこと言われたような気がするんだけど・・・空耳?

 え?

 え、えええええええええ!?

 空耳でも何でもとにかく耳に入ったキーワードに、私の全身から火が噴出した。

 仁王くんが、少し俯いて頭をガシガシ掻く。



「な、なあ」

「う、うん!」

「…今度の試合、柳生にわしのメイクしてくれんか?わしには柳生のを」

「え?う、うん!」

「本当か!」

「メイクくらいならするよ!」

「ひっかかる言葉やのう…」



 うまく言葉が浮かばない私に、そんな皮肉なんて発言できるわけないじゃない!

 おたおた脳内でツッコミを入れてみても、傍から見ればどうにも冷静に映っている様で、仁王くんは気まずそうな顔をしたあと、「あー」と声をあげ話題を変えてきた。



「お前さん、テニスは興味ないのか」

「興味なかったら見に行きません…」

「じゃのうて、する方じゃ」

「体を動かすことはきらいじゃないですけど…あんなスパルタは勘弁です」

「昨日のことはわしが悪かった。さきに変装を解くよう言っておくべきじゃったの。……うーん、それもお前さんにとっては微妙かのぅ」

「…あの後、すごい音してましたけど…」

「ああ、同情はいらんよ。あれは殴ってもらったんじゃ」



 男のけじめと言うやつじゃ、と言って仁王くんがおどける。

 そんな風に、さっきの空耳も冗談じゃ、とおどけられるんじゃないかとドキっとする。

 そんな動揺が顔に出てしまったのだろうか。

 「うまくいかんのぅ・・・」と小さく仁王君が呟いたように聞こえた。一体どれが?なにがうまくいっていないのだろう。



「まあそれはさておき、昨日、なんで相手の挑戦を受けたんじゃ?」

「え…それは…」



 仁王君が返しにもってきてくれた地面に落ちているカツラに目を落とす。

 周りの音がゆっくりと消えて、私の手元に一つの仮面が落ちてくる。

 それが囁く。

 わしなら。



「仁王くんなら」



 勝つに決まっとるじゃろ。



「絶対勝つから」



 私の答えに、仁王くんは一瞬きょとんとし(珍しい)それから照れたように笑った(珍しい)。

 折角、仮面のお陰で収まった心臓が再び跳ね上がった。

 ひ、貧血で倒れそう・・・っ!

 私の内心を知って知らずか、仁王君はニコニコと上機嫌に話を続ける。



「コピーテニスってしっとるか?」

「ええと…氷帝学園の樺地くんのテニススタイルのこと?」

「そうじゃ。よく知っとるの。お前さんならそれが出来ると思うのじゃが」

「…まず基礎が成り立ってないよ」

「そんなもの、これからどうとでもなるよってに」

「…私スパルタ苦手です」

「女テニはそこまで厳しくはないらしいぜよ」

「…私演劇部なんですけど」

「知っとうよ。柳生もゴルフ部じゃったし」

「…もう三年だよ」

「まだ中学生じゃよ」

「…なんでそんなにしつこいの」

「今お前さんを逃がしたら、二度ととは会話できんような気がしての」

「そ、そんなこと」

「あるじゃろ」



 仁王くんは私の腕を掴んだ。

 ぐっと力の篭った掌が熱を持っているのが分かった。

 思わず体が固まったが、振り払うことは出来なかった。

 じっと見つめてくる仁王くんの顔が近い!心臓の音が聞こえてしまう!!

 頭が沸騰してまともなことが考えられない!!



「教室にいるじゃ、嫌なんじゃ」

「ええ!?」

の皮を被ってるお前さんより、今のお前さんが、ふてくされながら試合を見ているが好きじゃ」

「な、なに言って」

「わし真面目な自分はよくしらんきに、誠意が伝わっとらんかもしれんが。…わし本当は自分のことあまり好いとらんのよ」



 けどな、と躊躇いながらも話を続ける。



「お前さんの『わし』はそんなに捨てたもんでもなかった。」



 嬉しそうな悲しそうな、微妙なニュアンスを含めた表情と声で、私を見る。



「誰かがわしの真似をしとるのは知っとった。

 なんせ校内に見知らぬ彼女が五万とおるからの。

 それがとはおもわんかったが…昨日、校舎から出てきた人物を見つけて、こっそり後をつけた。

 顔や背丈、うまいように見せとったが、完璧とは言い難かった。

 それでも、それが『わし』に見えたのは、雰囲気のせいよ。若干わしより格好良すぎたがな」

「そんなこと・・・ない・・・」

「思わず助けてしまったのは、あまりにも『わし』が格好良すぎて、嫉妬したからぜよ」



 本物の方が何倍にも格好良いのに。

 お金に吊られて無茶な演技して、足を痛めて、仁王くんが来てくれなければ愛子にも恥をかかせて、もしかしたら愛子の元彼とやらに恥をかかせた罪でボコボコにされてたかもしれないのに。

 そんなに何も計算しないで、変装している私が、仁王くんより格好良いはずがない。



「偽物は偽物だよ、仁王くん」

「ん?」

「本物の方がずっとずっと格好いいよ。

 本物がいるから偽物でも女の子は喜んでくれるんだよ。

 偽物に本物の夢をみてるんだよ」



 私の主張に、仁王くんが曖昧な笑みを浮かべて私を見る。



「わしに、そんな価値があると?」

「あるよ!」



 私は叫ぶ。

 なんだか悲しくなってきた。

 私も、仁王くんの偽物を描いて夢を見ていただけ?

 そんなことはない!そんなことない!

 いろんな人の真似をしていたのも、仁王くんの真似をしていたのも、全部全部仁王くんを知りたかったからなのに。



「価値って仁王くんが自分で決めるもんじゃない!」



 私、結局、仁王くんのコト何にも知らないんだ。

 こういうコト言う人だったなんて、全然知らなかった。



「・・・・そうやの」



 しばらく沈黙した後、仁王くんが同意した。



「わしに化けたお前さんを見て、そう思ったぜよ」

「え?」

「わしが思っている以上に、わしの評価は高いのな?」

「う、うん」

「校内に五万と彼女が作れるくらいにな?」

「う・・・・うん?」

「お前さんの中のわしってそんなに遊び人?」

「ち、ちがうよ!ごめんなさい!」

「わしって結構一途なんよ?」

「うん」

「で、結構甘えん坊なんよ?」

「あ、そんな気もする」

「それでもって、を一等好いとるんよ?」

「・・・・・・え?」



 また、空耳アワー?

 ぞくっと全身の鳥肌が立った。

 仁王くんが、見たこともない微笑みを浮かべた。

 心臓が口から飛び出そうになった。



「わし、今告白しとるんよ?」

「ええ!?」

「わし、時々、自分がどこにいるかよくわからんようになるんじゃよ」

「・・・う、うん?」

「だから、お前さんに傍にいて欲しい」



 ぐっと仁王くんに握られていた腕が引っ張られて、そのまま私は仁王くんの腕の中に収まる。



「・・・だめかの?」

「え、いや、あの、その、えと」

「ダメならそうゆうてくれ。お前さんのことすぐには諦められんかもしれんが、迷惑をかけんように努力する」

「え、えええ、えと、ええと」



 これは夢か?

 頭が沸騰する。目の前が真っ白になりそうだ。



「・・・・・・・わ、私、ず、ずっと・・・・その・・・仁王くんが・・・・」



 好き、と言う声は掠れて、上擦って、上手に発音できなかった。

 くやしい。

 けれど、仁王くんの耳には届いたようで、私は息のできないほど強く抱きしめられた。

 ・・・・汗のにおいがする。

 今日、暑いもんね、いくら男子でも、仁王くんだって日焼け止め塗らないと、紫外線浴びすぎると病気になるよ・・・・。

 かくん、と足から力が抜ける。



「おっと」



 仁王くんが私をしっかり支えてくれた。



「どうしたとよ、



 呼び捨てにされたことに突っ込む余裕もない。



「力、抜けた・・・」



 私が正直に告白すると、仁王くんはきょとんとし、そのあと口を開けて爆笑した。

 こんな手放しに笑う仁王くんも初めてだった。

 ああ、本当に私はこの人のことを知らない。

 そんなので、この人の道標になれるのだろうか?



「に、仁王くんの」

「おう」

「彼女に、なるってこと?」

「そうぜよ」

「彼女、って、なにするの?」

「さての。わしも彼氏が何をするのかよう知らん」

「そ、そう」

「でも、彼女に期待することはあるぜよ」

「え?」

「それに、彼氏として何をすればいいか、昨日に教わったしの」

「ええ!?」



 私を支えながら、至近距離で仁王くんの顔が綻ぶ。



「とりあえず、くっついて愛を囁くんじゃろ?」

「ええ!?」

「学校から一緒に帰るんじゃろ?」

「は、はずかし」

「他に彼氏ができることを教えて欲しいの。わしも彼女にして欲しいことをいうからの」

「し、して欲しいことと、とは・・・・?」

「名前で呼んで」

「ま、さ、はる・・・・って?」



 そうじゃ、と仁王くんは笑った。

 今はそれだけで十分じゃなか?と仁王くんは笑った。

 それで、ようやく、私も笑えた。







 偽物ばかりを集める私たちだけど。

 お互いのことを、照らしあえる力は持っている。

 お互い自分仮面がどこにあるかわからないから。

 まずは仮面の材料集めから。

 一緒に探しに行きましょう。

 本当の自分の仮面ができるまで、お互いで補い合いながら。

 どこを補えばいいか、お互い分かってる。

 私たちは、のっぺらぼうだから。

















    ・・・おわり・・・・

あとがき


長々と失礼しました。

仁王も貴方も『自分』と言う存在が明白では無い、未だ自分探しをしている最中のようなもの、そんな時代の話を書いたつもりです。

変装って言うのは、一種のセラピーの様なもので、この場合はあこがれの誰かと自分を同調させることで自信を得る、と言うものなのですが。

なんとなく、のっぺらぼうみたい、と思ってここのカテゴリに突っ込みました。

なにはともあれ、お幸せに。

読んでくださってありがとうございました!