「・・・・・・・」



 彼女が入った更衣室から、ごそっと言う音がした。

 嫌な予感がする。

 店主に気取られぬように、服を物色する振りをして近づく。



さん。さん」



 小声で話しかけてみたが、返事がない。

 辺りを見回し、店主がこちらを向いていない隙を突いて中に入る。



「・・・・・っ!」



 中には誰も居なかった。

 思わず拳を壁に叩きつけたくなった。

 こういう店に良くある事件。

 着替えている最中に、別の出入り口から、人が攫われる。

 うかつだった・・・。馴染みの店だからと油断していた・・・。

 今の私に、馴染みの店など存在しない。

 分かっているつもりだったが・・・分かっていなかったのかもしれない。

 四方を検分して、布を掻き分け、一つ通路を見つけた。

 ここか!

 後ろで異変に気づいた店主が声を掛けてきたが、無視して通路に駆け込んだ。

 布の回廊の奥から、激しい物音がした。

 ぎりっと歯を噛み締める。

 どうか、間に合って・・・っ!!



さん・・・っ!!」



 音のした部屋に飛び込むと、そこには想像していた最悪の事態の・・・反対が展開されていた。



「え・・・・?」



 さんが棍を片手に立っていて、周りに三人の男が倒れている。

 え・・・?

 状況に脳の処理が追いつかず、ぽかんとしていると、さんがおそるおそるといった感じにこちらを振り返った。



「り、陸遜・・・」



 すこし泣きそうだった。

 その顔にハッとして駆け寄る。



「大丈夫でしたか、さん!」

「あー・・・うん、大丈夫っちゃあ大丈夫なんだけど・・・」



 歯切れの悪い口調で、両手に視線を落とす。

 私は彼女が何を考えているか分からず、乱れた髪をそっと直してあげた。

 ややあって、彼女がぽつりと言った。



「・・・・・・・私、殺しちゃった・・・・?」

「え?」

「殺しちゃった?ねえ、私殺しちゃった?その人たち殺しちゃった?」

さん、落ち着いてください」

「ねえ、どうなの!」



 泣き出しそうな顔で必死に見上げられ、なんだか私自身も泣きそうになった。

 ああ。

 もう、そういう顔はさせないって決めたのにな。



さん、落ち着いてください。はい、深呼吸。できますか?すって、、、はいて、、、」



 私が肩を支えながら諭すように言うと、彼女は私の言葉に従って、深呼吸をしてくれた。



「ぱっと見た限りでは、死んでないように思いますよ。確認しますね」



 やや落ち着いた彼女は、私の言葉にコクリと頷いた。

 それに微笑みやって、倒れている男に近づく。

 眼球運動や脈拍から、ただ気絶しているだけだとわかった。

 それにしても、あんな女の子に大の男が三人かかってこの有様とは・・・。

 不思議な気がしてならない。

 それに、さんのあの取り乱しっぷり。どう考えても、彼女は戦場に身を置いたことのない娘だ。



「あ、あの・・・り、陸遜・・・?」



 呼び声に我に返り、死んでませんよ、と笑みつきで答える。

 私の答えにほっとしたのか、彼女はその場にへたり込んでしまった。



「よ、よかった〜・・・」

さん、すみません・・・このような目にあわせてしまって・・・」

「へ?いいえ、陸遜が謝るようなことじゃないよ。私の不注意と言うかなんというか・・・」



 私の謝罪に、彼女はどこか照れたように私の非を否定してくれた。

 やっと普通に戻ったその顔が可愛らしくて、尋問めいた質問はしたくはなかったのだけれど。

 この状況の説明をしてもらおうと声を掛けた時、不意に後ろのほうから怒号の様な声がした。

 店主が異変に気づいて、他のやつらを呼んだか。

 経過した時間を思えば、妥当な隙を与えたようだ。



「な、なに!?」

「どうやら、ここで暴れたことの説教に誰かが来るようですね」

「え!?だ、だって、あっちが悪いんじゃん!!」

「冗談です。まぁ、ともかくここからさっさと離れましょう」

「わ、わかった!・・・・・・・・ぁれ?」



 勢いよく立とうとした彼女は、また再びへたりこんでしまった。



さん?」

「はぃ・・・」

「・・・腰が抜けましたか?」

「ええと・・・なんというか・・・情けないことに・・・はぃ・・・」



 なんと。

 本当にこの娘が、こいつらを倒したのか?



「わかりました、じゃあ、落ちないようにしっかり捕まってくださいね」

「え?ひゃぁあ!!ちょ、り、陸遜!!」



 私は彼女を抱えると、部屋から駆け出して奥へ走った。



「や、ちょっと、重いでしょ!離してー・・・っ!!」

「私のことを思ってくださるのなら、暴れないでくださいね。あと、あんまり話すと舌噛みますよ」



 私の言葉に、顔を赤くしてコクリと彼女は頷いた。どうやら舌を噛んだらしい。

 思わず失笑ししてしまい、目線だけで謝る。

 回廊を走りぬけ、たどり着いた最奥の布を越えると、外に出た。

 そのまま歩いて、大通りの手前で彼女を下ろした。



「通りに出れば、大丈夫でしょう」



 明るいところで見れば、彼女の服の裾が随分汚れてしまっていた。

 それを払ってやると、さんは大仰に慌てて「自分でやります!」と私の手から逃げた。



「ちょっと可愛らし過ぎましたか。似合ってはいるんですけど、男の子のようには見えませんね」

「え?」



 私の感想に、はきょとんとした。

 あれ?



「いえ、男装する予定だと思っていたのですが・・・」

「ええと・・・カワイイ・・・ですか?」

「?ええ」



 私の困惑を他所に、彼女は赤くなって照れて笑った。

 ・・・・・・・・・・。

 なんだか、その笑顔を見て、あんなことがあったけど、あの店に連れて行ってよかったなぁ、と思ってしまった。



「こ、これから何処に行きます!?」



 照れ隠しのように、さんが突然大きな声を上げた。



「そうですね・・・。もうこの時間に次の宿がある街に付くのは難しいでしょうから、ここの宿を捜しにいきましょう」



 私の言葉に、「そそそそそうですね!賛成です!」とまだ赤い顔と大げさな身振りで彼女が賛同を示した。

 その行動が可愛らしくて、私はまた思わず、ふふっと笑ってしまった。








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