泣きはらした目
一人つけてやる、と言われた。
誰でもいいから選べばいいさ、とそいつは言った。
巫山戯てるんだと思った。
どう考えても、それは日常ではあり得ないこと。
だから、ゲームキャラクターを選択するプレイヤーのように、覚えている名前を言っただけだった。
陸遜、と。
「・・・なるほど」
酒場兼宿屋という、ややいかがわしい店の中、私の前に座ったちょっと眉目麗しい男の子がため息をついた。
私は、彼の前で大変恐縮して座っていた。いや、もう、縮こまっていた。
彼の反応が怖くて溜まらない。
何故なら、私の何気ない一言で、彼のこれまでの人生が全否定されてしまったからだ。
話は、少し遡る。
そこは、学食だった。
私の学校には学食がある。結構珍しいらしいが、私としてはそれほど貴重価値に関心はない。
友達とずるずるうどんを食べている時、
「やあ」
なんていうか、小説でしか言わなそうな言葉を掛けられた。
振り返ると、私の知らない男子生徒が居た。
誰?
どうやら知らないのは私だけのようで、友人たちは「へーちゃん」だの「けいちゃん」だの「てっちゃん」だのと彼を呼んでいる。
呼び名が定まって聞こえないのは、私の耳が可笑しいせいだろう。
だって、人の名前とか覚えにくいし。
友人たちと会話する彼を、私は興味なさそうにみながら、うどんを啜っていた。
「ね」
と、いきなり声を掛けられた。
「何ですか?」
初対面の相手には、敬語になってしまう癖が私にはある。
同年であっても、馴染むまではずっと敬語になってしまう。
私の言葉に、彼はへらへらと笑いながら、私の前の席に座った。
・・・馴れ馴れしいなぁ。
対応に辟易しながら、それでも自称優等生の私は、笑顔で対応した。我ながら黒い。
「ねー、君ってさ、三国志とかって興味ある?」
「は?」
何をいきなり言い出すのだこの男は。
ん?もしかして私を同志だと思って、それで馴れ馴れしいのか?コイツは。
「三国志?」
「うん。そう。あれ?知らない?おっかしいな」
私の反応に、彼は首を傾げた。
私が三国好きだと言うことを、コイツは一体誰から聞いたのか。
「知ってますけど・・・」
「ホント!?」
私の言葉に、ぱぁっと顔を輝かせる彼。
うう、私も人がいいなぁ。
あはは、と乾いた笑みを返す私に、彼は人畜無害そうな笑顔で聞いてきた。
「じゃあさ、三国統一してみたい、って思ったこと無い?」
「は?」
何をいきなり言い出すのかこの男は。第二弾。
「ある・・・かなぁ・・・」
「へぇ」
私の適当な答えに、うれしそうに相づちを打つ男。
だから、アンタなんなんだよ。
「じゃあ、一人仲間にするとしたら、誰がいい?」
「は?」
いきなり何を以下略。第三弾。
けれど、今度は私の怪訝な表情にもめげず、にこにこと笑って私の言葉を待っている。
私はその笑顔に呆れながら、適当に知っている武将の名前を挙げた。
「陸遜・・・かなぁ・・・」
つぶやいた次の瞬間、私の体は、別の世界に移動していた。
へ?と思う間もなく、座っていた私は、急になくなった椅子の感覚に耐えきれず、思い切り尻餅をついてしまった。
いてて・・・。
打った腰を擦って、そして、私は現状に気づいたのだった。
ココは、どこ?
何度瞬きしても、目を擦っても、風景は変わらない。どこか荒涼とした大地。
じんじんする腰。痛い。夢じゃないらしい。
「なに・・・これ・・・」
まって。よく考えろ。状況を整理しよう。な、自分。
ええと。
私は学食でうどん食ってて、それで、変な男子に絡まれて、それで・・・何ココ?
え。ちょっと待って。だから、何?どこ?ここ。
服は制服だ。うどん食べてた時のまんまだ。なんだこれ?
『競争しようよ』
突然、あのよくわからない男子生徒の声がした。
「なに!?どこ!?」
『そんなに怯えないでよ。おかしいな。もっと肝が据わった人だと思ったのに』
「は!?何の話!?」
『だからさ、競争しよ』
「は!?」
なんのこっちゃい。
なんとなく声が上から聞こえてくるので、私は空に向かって怒鳴るような形になってる。
うわー、端からみれば頭のおかしい子にみられるなぁ。
んまぁ、このさい、そんなことどうでもいい。
「なんなの!?競争?っていうかココはどこ!?いつの間に私を連れ出したわけ?この誘拐魔!ここからだせ!!」
『競争に決着が付いたら、出してあげるよ』
「競争!?決着!?」
『君は陸遜を選んだ。だから彼を君にあげるよ。』
そんな人を物みたいに。
「陸遜が実際にいるわけないでしょ!」
『ココは三国志の世界だよ。陸遜はいるよ。彼と一緒に国を作って、三国統一してみて』
「は?」
わけがわからない。
なにそれ。
『僕も君の敵として出るかもしれないね。どっちが早く統一できるか勝負。ね、簡単だろ?』
「なに、が?はぁ?わけわかんない」
嬉々とした彼の声に対し、私の声はあまりにも弱々しかった。
声が裏返る。
混乱のあまり、体が少し震えている。
『能力的に、君にも一応三国無双並の力は与えてあるから、死ぬことはないと思うよ。まぁ、生水には気をつけて』
「・・・・・」
また、意味不明なことを言う。
私に三国無双並の能力をくれた?何のために。
『じゃあね。もうすぐ陸遜が到着するよ』
陸遜が到着する?
・・・・え?
「・・・陸遜と国を作る?陸遜は呉の人でしょ・・・?」
彼の言うことには矛盾がある。
国を作れ?呉で三国を統一するというのか?一介の女子高生に?
何を馬鹿な。門前払いもいいとこだ。
『まぁ、うん。ちょっとこの世界は史実とは違うんだけど、そうだね。でも、君の為に彼には全ての物と決別してもらった』
・・・・・・・・。
「は?」
なんて言った?
『この世界で彼のことを覚えている人は誰もいない。僕と君以外ね』
楽しそうな声。
全ての物と決別してもらった?
「なんで」
怒りで目の前が真っ暗になりそうだった。
あまりの腹立たしさに、私の声は感情を失った。
私の質問に、彼は至ってふつうに答えをくれた。
『邪魔だからだよ。彼の知名度も、彼の国も』
「なんで!」
意味がわからない。
なんでこんなことをする必要がある。
私が一体何をした?
なんでこんなことにならなけれなならない。
私の叫び声に、相手はすごく厭そうな声を出した。
『・・・見込み違いかな・・・こんなヒステリックな人じゃ無いと思ったのに』
「そうよ!見込み違いよ!さっさと帰して!」
『それはできない』
「な、んで」
『まぁ、がんばって。じゃあね』
「ちょっと!!」
私の呼びかけを無視し、別れを告げた相手。
以降、どんなに叫んでも怒鳴っても、彼からの返事は帰ってこなかった。
「なんなの・・・・」
途方に暮れていると、遠くから馬の駆ける音がしてきた。
馬・・・。
ぼんやりとそちらの方を向く。
赤い防具を着た少年が一人、馬に乗って駆けてきた。
彼は何かに追われているようだった。
何に?
私はぼんやりと、馬の方に近づいていった。
「!」
馬上の人は私に気づき、慌てて馬を止めた。
私を轢きそうになったからだ。
馬のいななきに気圧され、すっかり気の抜けていた私は、押されるように尻餅を付いた。
「す、すみませんっ。大丈夫ですか!?」
馬を宥め、慌てて私の方を見て謝った。
赤い色が似合う、どちらかと言えば可愛らしい、綺麗な顔をした青年だった。
少女漫画にありがちな運命の出会いなのに、ちっとも私の心がときめかないのは何故だろう。
「陸遜・・・」
そう、きっと彼が陸遜だからだ。
私が名前を呼ぶと、彼は、え?と驚いた顔をした。
「貴方は、僕を知って居るんですか?」
彼が私に疑問を投げかけると同時に、彼の来た方から、何か怒鳴り声のようなものがした。
その声に気づき、彼は舌打ちをして、私に手を伸ばしてきた。
「すみませんが、ご一緒願えますか?」
私は、何も言わずこくりと頷いた。
もう考えるのに疲れた。
そして、現在に至る。
彼は、急に周りが彼のことを知らないと言い始め、間者ではないかと疑われ、それで逃げていたのだ。
全部、私のせいっていうか、あの正体不明の男子生徒のせいなのだ。
「ごめんなさい・・・・」
それでも、彼を選んだのは私で。
申し訳なさと、状況をなんとも打開できない情けなさに、私はぽろぽろと涙をこぼしてしまった。
「泣けば解決するのですか?」
陸遜から、冷静なそれで居て冷徹なコメントが来る。
私は首を振った。それでも、涙は止まらない。
「ごめんなさ・・っ」
謝る私に、陸遜がため息をついた。
「よぉ、兄ちゃん!なーに、彼女泣かせてんだい?」
「ひでぇ、彼氏だな。お嬢ちゃん、こっちこいよ。優しくしてやんぜ?」
周囲の酔っぱらいから、からかいを含んだヤジが飛んだ。
陸遜は、彼らに視線を回し、軽く目で撫でると、席から立ち上がり、私の腕をつかんだ。
「・・・ぇ」
「行きますよ」
私は彼に連れられて、外に出た。
外に出て、すぐの通りの隅で、彼は立ち止まった。
私は、掴まれていない方の手で目を擦った。陸遜が私を振り返る。
そして、私の目尻を指で擦った。
「・・・!」
「すみませんでした」
陸遜が、泣きそうな、困ったような顔をして私を見ていた。
「私としたことが・・・情けない。状況に混乱して、八つ当たりしたしまいました・・・」
「ごめんなさい・・・」
「なんで貴方が謝るんですか」
陸遜が、私の頭を撫でた。
ゆっくりと優しく撫でてくれた。
その感覚に、だんだん落ち着いて来た私は、徐々に涙が止まって行くのを理解した。
「貴方は私のことばかり気にしているけれど、自分のことを忘れてませんか?」
「・・・ぇ?」
「貴方の状況も、僕の状況とさして変わりない。・・・いえ、女性の貴方の方が辛かったでしょう」
陸遜の綺麗な優しい声が身にしみて、また私は泣き出してしまった。
彼は、今度はため息をつかず、少し失笑して、そのまま撫で続けてくれた。
そして、
「名前を教えてくれますか?」
「・・・です・・・、」
「さん。これからよろしくおねがいしますね」
もう、泣かせたりしませんから。
どんなことが起きても。
そう聞こえたきがしたけど、ちょっとそれは自惚れすぎだと思うので、きっと聞き間違いだろう。
陸遜サイドへ