「ねぇねぇ」
音楽の授業中、アルトリコーダーから私が変な音を出していると、愛子が私の肩をたたいてきた。
「なによー、アンタ隣の班でしょ」
「いいじゃん、そんなこと。でさ、今日の放課後時間ある?」
「ん、今日は部活もないし」
「本当!頼みたいことがあるんだけどー」
「なに?」
「変装、お願いしていい?」
私は、立海大付属中演劇部に所属する三年生である。
小さい時から、メイク関係に多大な興味を持っていて、特殊メイクなどプロ顔負け…とまではいかないかも知れないが、顔見知り程度の人にならバレない程度のものをこなすことはできる。
一年の時にふざけて友人に化けて脅かした時から、時折「変装」の頼みごとをしてくる子がいる。
内容は様々、○○くんに勉強を教わりたい!とか、○○くんとデートしてみたい!とか。男に変装する率が高いのは、ひとえにこのない胸と身長がある程度高いせいなんだろう。
あんまり嬉しくない。
報酬の初めは、学食をおごって貰っていたのだが、最近は現金が多い。
現金にされると学校にバレた時が怖いのだが、今のところまずいことはおきてはいない。
私は声を潜め、尋ねた。
「…………いくら?」
「千円」
「なっ!なにそれ一体誰の変装すればそんだけくれるのよ!有り得ない!」
「そのかわり失敗したら罰金もらう」
「うう…そういう罠が待っているわけね。……で、因みに誰なの?それ聞いてから考えるわ…」
「えへへぇ、あのね、仁王雅治くんって知ってる?テニス部の」
知ってるもなにも。
だって私。
「うん、まあ、運動部はよく走行会するし。あの白髪でよく出場停止にならないもんだと見てたよ。あと、変装して数学を教えてくれ、との依頼が多いし」
「白髪じゃなくて銀髪!…じゃあ結構自信あるの?」
「まあ、こなした数も多いし」
なにより、私も彼が好きだから。
「だったら大丈夫かなー。あのね」
愛子が声を潜ませた。
自然に私も彼女に顔を近づける。
「仁王くんで私の彼氏の振りをして、元カレにぎゃふんと言わせたいの」
「またフられたの?」
「ち、違うわよ!フってやったのよ!」
フった奴に今カレ自慢してなんの得があるのよ、全く。
「……まあ、今はいいよ。で、今日の放課後なんだっけ?随分急だね」
「学校から一緒に行ってくれるならさらに500円追加」
「お金追加されると怖いからやめて。まあもらうけど」
「そうこなくっちゃ!ありがとう!」
「まいど〜」
おちゃらけて練習していたフレーズを吹いてみたが、プヒーと間抜けな音が出るだけだった。
そんなこんなで、放課後私は演劇部の部室にいた。
メイク道具は重いので、部室に置かせて貰っている。もちろん部活に使う為に置いてるのだけど。
メイクが終わった顔に、使い込んだ銀髪のカツラを被り、鏡を覗き込む。
目つきの悪い仁王くんの困った顔がそこにあった。
よし、まあいいだろう。
胸はサラシを巻いてで潰している。季節はまだ夏ではないので、男装する方としてはだいぶ助かる。
ワイシャツ、上着と着込み、身長が少し足りないが、そこはまあご愛顧ってとこで。
足先とかかとに詰め物をした仁王くん革靴を装着し、メイク道具を片付けて部室を出る。
部室の外で待っていた愛子がぎょっとしているのがわかった。
私は鍵を閉めながら、
「待たせて悪かったのう、愛子」
と声色を真似して話かけた。
途端、呪縛を解かれたみたいに、愛子が目をキラキラさせて詰め寄ってきた。
「すごいすごい本物みたい!」
「ちょ、愛子、近っ」
「……ちょっと、気を抜かないでくれる」
「……プリッ」
「きゃーっ!!」
毎回思うが、女の子って可愛いなぁ……。
「さあて、わしに一緒にきて欲しいんじゃろ」
「そうそう!」
「愛子…落ち着きんしゃい。わしはどこにも逃げんよ」
喜んでもらえて何よりというか、複雑と言うか。
「それで、どこに行くんじゃ?」
「あ、うん、そうそう、図書館前の公園なのよ」
「公園…?」
公園で何するんだ?決闘か?勘弁してくれ。
「公園でなにしようの」
「会ってくれるだけでいいんだって」
そう言うと愛子は私の腕に自分の腕を組ませて、ずるずると引きずるように校舎から連れ出した。
学校から誰か付いてきている気がする。
そう思って、後ろを気にしながら歩いてきたが、公園に至るまでに見破ることができなかった。
「それで、例の元カレとやらはどこにおるんじゃ」
「テニスコート近くにいるらしいんだけど……あ、いたいた」
愛子の目線の先にあるフェンスで囲ったテニスコート近くに、氷帝学園の男子生徒が二人立っていた。
二人?
氷帝学園についてはテニス部と野球部、あと演劇部のメンバーしかしらない。しかもレギュラー陣のみだ。
立っていた二人を私は知らなかった。
まあバレることもないかな。
「どっち」
「茶色の方」
「よっしゃ」
私はスタスタ愛子を先頭する形で二人に近づく。
顔には、仁王くんがよくする薄ら笑いを浮かべて。
「はじめまして。愛子の今カレの仁王っちゅうもんじゃ」
宣誓布告する私の横で、愛子が「きゃあ」と言う黄色声を飲み込んだ気配がした。
おいおい、アンタでばれるじゃろうが。(あ、うつった)
私の挨拶を受けて、茶色頭も胡散臭せうに私を見ながら挨拶してきた。
そして、愛子と口論を始めた。
「お前、オレのこと好きとか言って置いて、別れて2日で彼氏つくんのかよ」
「なによ!好きな子ができたから別れるって言い出したアンタよりマシよ!」
「だってしょうがないだろ。それよりお前だまされてんじゃねぇのか」
「はあ?」
「オレと別れて傷ついたお前に適当なこと言ったんじゃねぇの」
「な!?傷なんかついてない!」
「泣いてたじゃねぇかよお前。まだオレのこと好きなんだろ?」
うーん。
こんな修羅場本物にあるのねぇ。信じられない。
頭の隅で客観視しながら、仁王くんの行動を考える。
私は愛子を抱きしめると(うぇっ)茶色頭(名前忘れた)に向かって言い放つ。
「聞いてればアホな独り善がりで、ウザいやっちゃのう」
「んだと」
「愛子は今、わしのこと好いとうのよ。未練があるなら離さんかったらよかったんじゃ」
「未練とかじゃねぇよ。元彼女がペテン師に騙されてるんじゃ放っておけねぇだろ」
ペテン師?
仁王くんのこと知ってるのか?
「酷い言われようじゃの。こう見えても結構一途なんよ。のう、愛子」
愛子は言葉もなくただ首を何回も縦に振る。
演技ではなく素で目がハートマークになってやがる。
嬉しいんだか気持ち悪いんだか…私としては気持ち悪いのだがな!
茶色頭はギリっと悔しそうに歯噛みすると、私を指差し、
「テニスで勝負しろ!」
はあ?テニス?
「ほぅ、なんでまた」
「お前たちが勝ったら愛子を諦めろ!」
はあ?
私は馬鹿にしたように鼻で笑ってやる。
「ダブルス対シングルじゃと?頭沸いとるの」
「立海大のレギュラーでもこのハンデはきついのかぁ?」
相手が挑発してくる。
えー?マジ?テニスしなきゃだめ?
だって、もし仁王くんなら受けるよ。
そして勝つよ。どんなことやっても。
私は、ニヤリと悪そうに笑ってやる。
「ほぅ、面白いこと言うのう。身の程をわかっちょる。だが生憎ラケットが手元になくてな」
「貸してやるよ。ホラ」
「…ふん。ありがとさん」
投げつけるように渡されたラケットを受け取り、ガットやグリップを調べるが特に異常はなかった。
マジで?私テニスなんて体育の授業以外でやってないよ?
あとは、テニス部の試合を見に行ったことしか…。
相手二人がコートに入る。
「ちょっと、大丈夫?」
私を盾にして相手の視界に入らないようにして、愛子が私に囁いた。
「わかんね。無理かも」
「ちょっと!」
「努力する。奇跡祈ってて」
第一この靴は運動に向かなすぎる。
あーもう!やるだけやるわ!
一緒に恥はかいてやるから、私を恨むなよ愛子!
脳裏に先日行われた春の試合の様子を再生させる。
そう、仁王くんは左利き。
私はラケットを左に持つ。
コートに入るとボールを渡された。サービスはこちらにくれるらしい。
お互い定位置につき、私は必死に思い出したことを実行する。
まずボールを二回つき、それが終わったらボールを高く上げ、自分と対角線上のコートに入れるように打つ!
打ったら素早く真ん中に行く。
腰は常に低く。
返ってきた。左。
ダーティートリック?無理。技なしで!
私は無様に見えないように食いついて打ち返す。
ぐき!
打ち返した瞬間、地面で踏ん張った足首から嫌な感じのしびれが這い上った。
痛い!やっぱりこの靴では無理だよ!
不安定に上がったロブを見て、スマッシュを返せるよう心構えをする。
案の定飛んできたスマッシュを受けるが、足が踏ん張れずに、ガットから流してしまった。
「…………プリッ」
やっぱりレギュラーじゃなくても、素人じゃ歯が立たないってことね。ちゃんと部活やってんじゃない。
私が仁王くんの口真似をしながらボールを拾っていると、
「おー、苦戦しとるようやの。わし」
と声がかかった。
声に顔を上げると、ラケットを持った仁王くんがコートの中に入ってくるところだった。
………………。
ににににに仁王くん!?
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