「あれ?」
気がつくと、俺は電車に揺られていた。
きょろきょろと辺りを見回して、自分が置かれている状況を把握しようと努めた。
どうにも、俺が登下校に利用する電車で間違いないようだが、窓から見える風景は見覚えがない。
時間は、時計も携帯も持っていないため正確には判断できないが、太陽の位置からしてお昼過ぎのようだ。
天気がいい。絶好のテニス日和だ。
(うーん・・・)
流れ行く緑の景色を見ながら頭を悩ましてみても、電車に乗った記憶は浮かんでこなかった。
そこで俺はようやく、窓に映った自分が学校のジャージを着ていることに気づいた。
(・・・寝ぼけてるのかな、俺)
ぼーっとして、逆方向の電車に乗ってしまったのだろうか。
しかし、何故俺はジャージを着ているんだろう。どこかで試合した帰りなだったかな・・・?ラケットも鞄も持たずに?
(うーん・・・)
なにか大切なことを色々忘れているようで、思い出せない自分が気持ち悪い。
(誰かに次の駅は何処か聞いてみようかな・・・)
俺は席を立って、揺れる車内をバランスを取りながら、なんとなく逆方向へ歩いた。
車内に人はまばらだった。この時間帯に乗る人は少ないのだろう。だとすると、今日は平日?なら、ジャージを着ている意味がわからない。
「・・・え?幸村くん?」
少し歩いたところで、急に声を掛けられた。
ドアの近くの二人席に座った女の子が、俺の方を驚いた顔をして見ていた。
俺はその子を知っていた。
だが、名前が思い出せない。
でも、よく知っているはずなんだ。
だけど、どこで如何出会ったのかも思い出せない。
彼女は制服を着ていて、それがどこの制服なのかは知らない。これは、 覚えてないのではなく、知らないのだとはっきりとわかった。
「こんにちわ」
とにかく笑って挨拶することにした。
今日の俺はどこかおかしいから、思い出せないのもきっとそういう訳なんだろう。彼女に心配をかけるわけにはいかない。
彼女は、釣られたように笑った後、今度は困惑した顔になり、
「どうして、こんなところに居るの?」
と、落ち着かない感じで話しかけてきた。
どう説明したらいいものやら。俺自身なんでここに居るのか思い出せなくて困っているのに。
俺は苦笑いしながら、
「うん、どうやらボーっとして、電車を間違えてしまったみたいなんだ」
「間違えたって、そんな・・・」
彼女はオロオロと俺を見る。
うーん、やっぱりこんな説明じゃ心配かけるだけだったかな。
「大丈夫だよ、次の駅で降りて駅員さんにでも帰り方聞くから」
安心させようと思って、にこっと笑いかけると、彼女は少しだけ笑ってくれた。
「幸村くん」
彼女は俺の名を呼び、指で隣の席を指差した。
俺はお言葉に甘えて、隣に座ることにした。
俺が座ると同時に、彼女は少し離れるように横に寄った。気を使ってくれたようだ。俺は、「ありがとう」と彼女に言った。
彼女は、少し照れたように微笑み、それからポケットを探って一枚の色紙を取り出した。
「折り紙?」
俺が聞くと、彼女は、うん、と頷いた。
「幸村くん、私の折鶴くれたの覚えてる?」
「え?」
「ほら、千羽鶴。私も折り返そうと思ってたんだけど、中々大変で」
私ぶきっちょだから、と少し悲しそうに言いながら、膝の上を台にして鶴を折り始めた。
(千羽・・・鶴・・・?)
鶴を意識した途端、指先が凍りついた気がした。腕が重いような気がする。
「でも、ほら。幸村くんも言ってたけど入院生活って暇だから、こんな私でも頑張って折ってね・・・確か、この鶴で千羽になる筈」
(入院・・・)
ところどころ、角の合わせがずれた、少し不恰好な鶴が出来上がっていく。
その反面、俺の脳内からボロボロと落ちていた記憶のずれ、ゆっくりと修正されていく。
ガクン、と電車の速度が落ちた。
次の駅が近いようだ。
彼女は不恰好な鶴を、ふっと息を掛けて膨らませ、「あ、膨らましたらいけないんだっけ・・・」と言いながら、おずおずと俺の方を見ながら、それを差し出してきた。
「あのね、残りの鶴はね、私の病室にあるの。本当は幸村くんの手術の日にまでには間に合わせるつもりだったんだけど・・・」
そこで、彼女の言葉は詰まった。
うつむいたまま鶴を差し出す彼女の頭を撫で、俺は「ありがとう」と言って受け取った。
なんだか鶴がとても暖かかった。
キキーッとブレーキが強くなる。
俺が立ち上がると、彼女も立ち上がった。
少し驚きながら、俺達はお互いを見る。
「君も、ここで降りるの?」
「うん。・・・でも」
彼女が躊躇いがちに、俺の手に触れた。
その手は、ぎょっとするほど冷たかった。
びくっと震えてしまった体を見て、彼女はあわてて手を離した。
そして、「ああ、やっぱり」と泣きそうな、それでいて少し嬉しそうな顔をした。
「幸村くん」
「うん」
「降りちゃだめだよ。走って帰って」
「え?」
「幸村くんは、まだ、全然、生きていけるんだよ」
鶴が暖かい。
彼女が、とても、とてもやわらかく微笑んだ。
「走って」
手を伸ばし、俺の肩をつかんで、方向転換させる。
電車の進行方向とは逆の向きに。
「君は」
「ごめんね、頑張ったんだけど。嬉しかったんだけど。私は無理だったみたい」
「そんなこと」
言いかけた途中で、いつのまにか完全に停車していた電車のドアが開いた。
ドアの向こうは、
駅のホームは、
真っ白だった。
死装束と、それを纏った骨の人で。
「走って!」
背中を、どんっ!、と押された。
一瞬、肩越しに彼女を振り返ったら、ああ、なんだか彼女も白く見えた。
皮肉にも、彼女の名前を思い出したのは、その瞬間だった。
「さん」
彼女の名前を呟いて、俺は走った。
手の中にある鶴の暖かさだけが、頼りだった。
目を開けると、真っ白い見慣れた病室の天井が見えた。
続いて、俺を囲む家族の顔が見えた。
そして首を回して、棚の上の千羽鶴を見つけた。
千羽に足りないのか如何か、ここからじゃよくみないけど。
「ありがとう」
彼女に届いたかどうかはわからない。
幕
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拍手ありがとうございました!
あいうえお作文っぽくしようとして、ありがとうの「あ」から始めた話です。
なんかちょっと不気味な話ですみません。
ほら、立海って鬱が似合うじゃないですか!(殺)
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