一瞬世界が終わってしまう夢を見る。










「おチビー」



 廊下からの威勢のいい呼び声に、親近感を覚えた。

 向くと、菊丸先輩が廊下から教室を覗き込んでいた。



「菊丸先輩?」

「にゃ!お嬢!」



 菊丸先輩は、越前くんの事を『おチビ』と呼び、私のことを何故か『お嬢』と呼ぶ。

 苦笑いをしながら、私は菊丸先輩に近寄った。



「その、お嬢、っていうのやめてもらえませんか〜?」

「なんで?いいじゃん。かわいいよ〜」

「はぁ・・・・。で、どうしたんですか?越前くん日直で、今職員室ですが」

「なーんだ、通りで呼んでも来ないわけだ。
 じゃあ、お嬢、和英辞典もってない?」

「持ってますよ。ちょっと待ってくださいね」



 ロッカーに取りに行く私の背中に「恩に着る〜」と言う明るい声が掛かる。

 菊丸先輩は元気だなぁ。

 あのにゃんにゃかした明るさは、人に伝染するものがある。

 菊丸先輩と会話した後は、心が非常にホカホカと温かくなるのだった。



「はい、どうぞ先輩」

「ありがとにゃ〜。よし、今日の部活帰りに肉まんおごっちゃる!」

「え、そんな、いいですよ、全然、たいしたことじゃないですから」

「お嬢はおチビと違って可愛げがあるにゃぁ!」

「わふっ」



 頭をぐりぐりと撫でられた。


キーンコーンカーンコーン・・・・


 あ、予鈴だ。



「じゃあ、後で返しにくるな」

「あ、取りにいきますよ。四時間目英語ありますから」

「え、でも、俺が借りたんだし」

「いえいえ、先輩にご足労頂くわけには・・・」



 手を振って意見を言う私に、「お嬢は真面目だなぁ!」と菊丸先輩は呆れ顔だ。



「じゃあ、授業が早く終わった方が行くってことで」

「あ、はい、わかりました〜」



 絶対先に三年の教室に行ってやる。

 外には微塵も出さずに笑顔で手を振る私であった。



、なにしてるの?」

「あ、越前くん。今菊丸先輩が捜しに来てたよ」

「菊丸先輩が?なんで?」

「英和辞典借りに。あ、でも、私持ってたから大丈夫だったよ」

「ふぅん・・・」



 越前くんは意味深な視線を私に向け、



「菊丸先輩が気にしてないのか。それともが無知なのか」

「・・・・は?」

「授業始まるよ。入らなくていいの?」

「いや、入るけど。いや、あの、そういう台詞言っておいてはぐらかすって、あの」



 資料を持ってさっさと教室に入っていく越前くんを追って、私もぶつぶつと言いながら教室に入って行った。



































 きりーつきょーつけれい、ダッシュ!と言った感じで、三年の教室までやってきた。

 よーしよし、絶対間に合ったはずだ。廊下にいる人がまだまばらだし。



「あれ??」

「あ、不二先輩」



 3-6の前で呼吸を整えていると、ドアを開けて不二先輩が出てきた。

 私を見てニコっと笑う。



「どうしたの?三年の教室まできて」

「あ、菊丸先輩に用が」

「英二に?」

「お嬢!なーんだ、きちゃったのかー」

「わふっ!」



 不二先輩と話していたせいで、注意が一気に逸れてしまっていた。

 気づいたときにはもう既に抱きつかれていて、私の口からは、衝撃により空気の飛び出す音がした。



「き、菊丸先輩!」

「英二、それ、セクハラじゃない?」

「にゃ!酷いなー不二、親愛表現って言ってくれよ〜」

「はいはい、分かったからドアのところでイチャつかない」



 不二先輩が、私から菊丸先輩をベリっと離した。

 残念〜、と菊丸先輩が情けない声を出した。



「私の体に触ったりしたら腐りますよ、先輩」

「腐るって・・・、あ、ほい、お嬢。英和。ありがとさん♪」



 笑顔で言う私に不穏な物を感じたのか、菊丸先輩が少し引いた。

 やだなぁ、本当のこと言っただけなのに。

 自分の物なのに、ありがとうございます、と受け取る私。



、用が済んだなら下まで一緒に行こうか」

「え!?」

「日直で資料取りに行かなくちゃ行けなくてさ」

「あ、手伝いましょうか?」

「女の子に手伝いを頼む訳にはいかないよ。ね、英二」

「にゃ!・・・・・あー・・・わかった。一緒にいくよー」



 ありがとう、と微笑む不二先輩をみながら、ああこういえば断れないって分かってて言ったんだ、と漠然と思った。








「あの」








 階段を降りようとしたときだった。



 なんとなくお付という気分で、先輩方二人の後ろに付いていた私は、後ろからの声に振り返った。



 なんですか、と言う声を出す前に、足を誰かに払われた。



 え?




 くるっと視界が上を向いて、あ落ちる、と思った。


 英和辞典人の頭に当たったら死ぬかなその人、とか思った。


 瞬間、血の気がザッと引いた。


 サーっていうもんじゃない。冷蔵庫にいきなり入れられた気分になった。

 景色がモノクロに変わる。


 落とされてるんだ本気で。


 ようやく、その事実を思った。

 理解した瞬間に、ガシっと誰かに支えられた。



















 声に我に返った。

 瞬きを一つした。

 視界に色が戻った。

 不二先輩が、抱きとめていてくれた。

 ・・・・・・・・・・・・・・・。



「わ、わわわっ!すみません、ありがとうございます!」



 脳味噌が沸騰して、私は慌てて不二先輩から離れた。

 菊丸先輩が青ざめつつ驚いた顔をしていた。



「だ、大丈夫か?お嬢!怪我してないか?」

「大丈夫です大丈夫です!まったくドジっ子ですみません!あとできつく叱っておきます!」



 混乱のあまり訳の分からないコメントをする私。

 叱っておきますって誰をだ?などと頭の隅でツッコンでみたりする。



「足を滑らせたの?」

「いえ、あ、はい、そうです。ごめんなさいすみませんありがとうございます」

「そう・・・・」



 階段上を見ていた不二先輩は、私の平謝りに苦笑いしつつこちらを見た。

 君がそういうなら、そういうことにしておこう。そんな感じの、しょうがないな、という笑顔をしていた。

 落とされた、なんて、そんな事実を認めたくない。



「ありがとう、だけでいいんだよ。ごめんなさい、は余計。僕が君を叱ったみたいで嫌な気分になる」

「え!?すみま」



 思わず謝りそうになって、慌てて口を塞ぐと、不二先輩がクスリと笑った。



「どさくさでセクハラしちゃったしね、許してあげるよ」

「え!?」



 セクハラってなんですか!?



「えー不二ずるいー。俺も触るー」

「英二はもう触っただろ」

「えー」



 そう言って降りていく先輩方の後ろを追った。

 後ろから声を掛けられることはなかった。

 これ以降、階段で後ろから声を掛けられると振り向けない事態が発生することがしばしばあったが、基本的に階段は走って昇り降りするので支障はなかった。

 あの、何度も言いますが、私なんかに触ったら腐りますよ体















 女子部室にいくときにはもうすっかり落ち着いて、階段から落とされたことを笑い話っぽくできた。

 一年女子テニス部テースの小鷹ちゃんが言うには、それは菊丸親衛隊のみなさんの仕業ではないだろうか、という話だった。

 どうやら抱きつかれたのがいけなかったらしい。

 ああ越前くんが言ってたのはそういう意味だったのか、と納得したが、ちょっとまて抱きつかれたのは不可抗力じゃないか!と心の中で抗議してみた。

 誰も抱きついてくれなんて頼んでない!と最もな意見を言ったら、先輩に失礼だし親衛隊にとっては贅沢な主張に違いない。

 人間関係の難解さに悩む12の春でした。









・おわり・





あとがき

 菊丸先輩大好きです。

 でも不二先輩の方が好きです。

 少女マンガでよくある嫉妬深い女子が多い学校って面白いので、そうしてみました。

 実際そんな学校通いたくないですけどね。


不二「本当にが無事でよかった。鍛えておくものだね」