冷めた記憶のTuesday

・・・前半戦・・・
















 朝起きるとペテン師さんから「お前さん、2時間以上待っとったの?」のメールが着いてたので、私ったら返信せずに削除した。

 むかついたので、メールを書いた「首を洗って待っててください♪」。

 をを!なんか歌が出来そう!









「おはよう、



 フェンス越しに見えた人影に私は駆け寄ると、柔らかな声で向こうから先に挨拶してきた。



「おはようございます!幸村部長!」

「うん、今日も元気そうだね」

「それは私のセリフですよ」

「それもそうだね」



 お互いの言葉にくすくす笑い合う。全く、この部長はこう言うときばかり中学生らしいんだから。



「今日、文化祭の準備手伝いに行くんだって?」



 ぎくーっ!!



「な、なんで知ってるんですか!?」

「蓮二から聞いたんだよ」



 あのおかっぱめー。何考えてるんだ。



「…抜け駆けですよねーこれって…」

「どうして?」

「だって、やっぱりみんな行きたいと思ってますよ」



 理由はそれぞれにしても。

 みんなが多少浮き足立っているのは、何も副部長がいないせいだけではないのだ。

 幸村部長はにっこり笑うと、



「君はマネージャーだから。君とほかの部員を同列に並べるのはおかしいよ」



 そう辛辣な言葉を吐いた。

 …いや、部長に他意はないんだろうけど…。

 なんかちょっと怖かった。



「午後から行くの?」

「あ、はい」

「そっか。じゃあ午後からは、久しぶりに『部長』をやってみようかな」

「…無茶しないでくださいね」

「やだな。本調子じゃないって自分でもわかってるよ」



 なんて言ってガッツポーズをするもんだから、お茶目と言うかなんと言うか。

 部長の体ももちろんのこと、副部長たちがいない中で無茶されたら、残された部員たちが哀れだ。

 みんな明日多分部活来れないんじゃないかな。筋肉痛とかで。

 部長の言葉に空笑いし、自分が座っていた椅子を勧め、スポーツドリンクの入ったポットと紙コップを取りに行く。

 それらを所定の位置に置いて、幸村部長用に一杯注ぐ。

 注ぎながら部員の様子を見れば、素振りがもう少しで終わりそうだった。



「部長、どうぞ」

「ありがとう」



 にっこり笑って受け取る指は、何度確認しても白く細い。

 パッと見た目は健康的なのに、確かに病み上がりだと言う現実をそれが突きつける。



「…部長」

「ん?」

「テニス、できるんですよね」

「ああ、もちろん。…できないなら手術なんて受けなかったよ」



 怖いことを言ってのけたその人は、穏やかな笑みを浮かべて素振りを見ている。

 「君だってそうだったんだろ」とこの人は言わない。言える資格があるのはこの人だけなのに、言わない。





「はい」

「今度テニスしない?…リハビリ相手で申し訳ないけど」

「…ありがとうございます」



 嬉しいのか悲しいのかわからないけど、部長の言葉になんだか泣きたくなった。






























「もしもし、こちら。応答をどうぞ」

「フッ…何を浮かれている」

「そりゃまあねぇ」

「会場に着いたのだな?迎えに行くからしばらく待っていろ」

「はーい」



 柳くんに携帯で私の来訪を知らせると、楽しそうな声が返ってきた。

 携帯をポケットにしまい待つことしばし、見慣れた仏顔が群衆の中から姿を現した。

 私は彼に手を振り、駆け寄った。



「早いじゃん」

「お前の来る時間はだいたいわかってたからな」

「データをテニス以外で役立てるのが教授のいいところね」

「フッ…おだてても俺は何もしないぞ」

「応援するだけで手伝ってくれない確率95%と思ってたから大丈夫よ」

「ほぅ…お前も随分計算できるようになったのだな」



 そう言って、お互いニヤニヤしながら会場に入って行った。

 入ってすぐの管理室で、名前を記入し、通行許可証をもらう。

 柳くんが運営委員を通じて跡部様に話を付けてくれてあったので、スムーズにことが進んで助かった。

 ちょっと癪だが。



「ではな。案内してやりたいところだが、俺も少し忙しくてな」

「ん。見取り図もらったし大丈夫だよ」

「そうか。だいたいの者はそれぞれの持ち場にいるが、広い会場だからな…迷子になったら電話してこい」

「だから大丈夫だって!…じゃあとりあえず、屋台の方に行ってみるね」

「わかった。弦一郎に見つかるなよ」



「大丈夫大丈夫!」とおちゃらける私を、特に心配する素振りもなく柳くんは頷くと、微笑して去っていった。


うー…そんな信頼した顔されたら、殴れなくなっちゃうじゃん。


頭から柳くんの微笑を振り払い、私は見取り図を広げる。

兎にも角にも、屋台ブースに行ってみよう。

そう思いブース方面への出入り口に向かってくるっと半回転すると、ちょうど模擬店スペースから出て来た人とぶつかった。



「わふっ!す、すみませんっ」

「わーりぃ、見えなくて…あーれ?マネージャーじゃん」

「へ…?あ、ブン太先輩」

「なにしてんの、こんなところで」

「ブン太先輩いいところに!」

「は?」



 いーいタイミングで!

 ブン太くんなら、お菓子あげれば情報の一つもくれるだろうし、次貰えなくなるのを恐れて真田副部長にお菓子の出所をしゃべる心配なし!

 その為に用意したこの菓子袋!

 んー、小学校の遠足や運動会を思い出すよ〜。

 ジャーン!と言う効果音をつけながら、営業スマイルと共に菓子袋を取り出して、ブン太くんに突きつける。



「お菓子、要りませんか?」

「マジくれるの?サンキュー!おお、オレの好きなもんばっか!さすがマネージャーじゃん!」

「ふふん、伊達に一年以上先輩のお菓子係りやってませんから」

「和菓子もいいけど、やっぱ時々駄菓子も食いたくなるんだよなー」

「で、先輩、仁王先輩が今どこにいるのか知らないですか?」

「あー?仁王?知らね」

「…次からチョコチップクッキー作ってあげませんよ」

「うぎ…っ!?だ、だってよ、知らねーんだからしょうがないだろぃ!?」



 私の手作りでも、ブン太くんには脅しの材料になるって言うのが嬉しいね。

 んなブン太くんは目をきょろきょろさせて、必死で記憶の糸を辿っている。



「あー…でも今の時間なら、テニスコートか広場じゃねぇ?わっかんねぇけど」

「あっりがとう!ブン太先輩!はい、お礼に、既製品で申し訳ないですがチョコチップクッキーですよ!」

「おお、サンキュー!…オレが言ったとこに居なくても怒んなよ」

「わかってますって!それでは!お疲れ様でーす!」



 テニス部の癖で、挨拶が普通じゃないが、そこはご愛嬌ってことで。

 地図を見ながら、私はとりあえず近場のテニスコートに向かって駆けていった。



























 でかい。

 体育館の中にテニスコートが三つ。どっかの大会の会場みたい。

 ここの会場って、跡部様と氷帝の顧問がわざわざ金出して作ったんだよね…?ホントなんの為に?

 体育館の中はクーラーが良く効いていて天国だった。

 地球温暖化に貢献してそうな施設だが、私が許す。涼しいは正義!


 さてさて仁王くんはいるかな…?


 ん?



「柳生先輩?」



 びくっ!と呼びかけた対象が震える。

 昇降口に立って、中の様子を伺っていたのは柳生くんだった。

 覗きなんて紳士らしくない。どうしたのよ。

 柳生くんは慌てたように眼鏡を押さえながらこちらを振り向き、居たのが私だと言うことで安堵し、しかし私がいることに驚いたようで「さん?何故ここへ」と言ったたりと忙しく動いた。



「何故ってそりゃあ仁王先輩に呼ばれたからですよ」

「仁王くんにですか?しかし…」

「待ち合わせ時刻は昨日ですけどねぇ。えぇ。あんまり遅いんで迎えにきました」

「はぁ」



 私のぶっきらぼうな言葉に、柳生くんは困惑気味に生返事した。

 その点について聞いてこないところを見ると、私が怒っていることはわかったようだ。

 柳生くんはズレてもいない眼鏡を直しながら、困ったように私に進言してきた。



さんの事情は朧気ながらも理解しましたが、今仁王くんも立て込んでまして」

「…テニスコートで立て込むって何してるんですか…?テニスしてるなら、柳生先輩がこんなところでコソコソする必要もないでしょうに」

「そうでしたら、そうなのですが…」

「コートで着替えしてるわけでもないでしょうし…私が見て何か不都合なことでもしてるんですか?」

「いえ、そんなことはありません。…他言無用にして頂けるなら、お止めする理由もありません」

「ふぅん…もしかして愛の告白ですか?」

「そのようなものです」

「まだ昼間ですよ!」

「時間はともかく、相手がどう思っているのか試しているのだと思いますよ」

「…なかなか腹黒いことしてますね」

「それが、なかなかどうして、うまくいかないみたいですよ」

「それはまた」



 意外だ。

 あの仁王くんのペテンに引っかからないなんて…相当の腹黒か天然のどちらかだわ。

 私は体育館へ続く引き戸からひょっこり顔を覗かせる。

 外からは見えず、最低でも扉から顔を出さなければ見えない位置に仁王くんがいた。



 そして、女の子の髪を優しく撫でていた。



 息が、詰まった。



優しく。

優しく。

まるで壊れ物を扱うように優しく。

まるでとても大切なものを撫でているように、優しく暖かい顔をして。

優しく。

優しく。



 撫でるのを見る度。表情を見る度。二人の周りを包む空気とは相反した黒い感情がふつふつと腹の底から湧き上がってくるのを感じた。

 ハラワタが煮えくり返る?まさに文字通り。



だって。


あんな顔、見たこと無い。



 満足した仁王くんが女の子を離してやる。彼女が照れながら去る後ろ姿を眺めながら、彼は柳生くんの名を呼んだ。



「もう出てきてもいいぞ」



 それに応えて柳生くんが体育館に足を踏み入れたのを合図に、私は仁王くんに向かって駆けだした。

 仁王くんが、来るのが柳生くんじゃないことに気づきこちらを振り返るのと、私が走りながら拳を振り上げたのは同時だった。



がっ!!



 全力で伸ばした拳は、胴体視力の優れたペテン師の腕にあっさり掴まれる。



「なにしよんの」



 いつもの表情。いつもの声。違うこんなのが見たいんじゃない。

 蹴り跳ばそうと足を浮かすと、行動を呼んでいたのか、掴んでいた私の手を振り払った。バランスを崩しタタラを踏む。



「なんでお前さんがこんなところにおるんじゃ」

さん!?…彼女は仁王くんに呼ばれたと言っていましたよ」



 仁王くんの問いに困惑気味の柳生くんが答える。

 回答に眉を顰め、ややあって「ああ」と思い当たったように嘲笑った。



「面倒なやっちゃの。いつもなら一時間も待たんとさっさと帰るじゃろうに」

「…だからって連絡一本も入れなくて良い理由にはなりません…」

「生憎携帯の電池が切れとっての。お前さんのことだからうまく動くと思っとったんじゃが、期待し過ぎたか」

「仁王くん、それはあんまりな言い分ではありませんか?」



 紳士な柳生くんは私の味方についた。

 しかし残念だが、今の私に味方は必要ない。

 柳生くんに言われて、仁王くんの顔が苦く歪む。



「まあ一応謝っとくわ。わりかったの」



 言い方があんまりにも腹立たしくて、私は思わずタックルした。

 謝られて私の気が済むと思ったのか、油断していた仁王くんは、私の攻撃をもろに受けて尻餅をついた。

 私は彼に馬乗りになるような形で落ち着く。



「ほぅ、いい度胸やの」

さん!?仁王くんも…一体どうしたと言うのですか?」

「柳生先輩は黙っててください。…さっきの謝罪は私に八つ当たりしたことに対してでしょう、先輩」

「……ああ、ようわかったのぅ。誉めちゃる」



 ニタリと仁王くんの顔が悪意のある物へ変化する。



「お前さん、猫被らずに普通に話っしゃい」

「…どういう意味ですか」

「心の中でいつも人を馬鹿にしとるくせに、人から馬鹿にされれば激怒か?全く自分本意のやっちゃの」

「馬鹿にした覚えはないです!」

「ほお。ならなんじゃあの目は」



 目?

 なんの話だ。

 ああ、腹立たしい。

 時々見せる底意地の悪さ。今日は、さっきの彼女に振られた腹癒せも含めて絶頂だ。

 いつもなら張り合わない私の猫皮も、機嫌を損ねて剥がれ落ちてしまいそうだ。



「テニスしたいならせぇよ。その癖、誘ったら断るしの。まあ、断るのはいいが、いつまでも恨めしそうに見られりゃ腹も立つぜよ」

「……っ!」

「わしがお前さんを詐欺師呼ぶ意味が分からんようやからおしえちゃる。

 本心話さん癖に他人のことを知らんと気が済まん。

 恩着せがましい割に、借りを作るは気に食わん。

 前からお前さんのそういうとこ、嫌いじゃった」



 なにも。


 なにも知らないくせに。



 考えるより先に手が出た。


 パンッ!と言う小気味よい音と共に、ジン…と手のひらに痺れが広がる。

 ドクドク鳴る血流の音とリンクしてジンジンする指先はまるで虫でも這っているかのようで、痒くまた気持ち悪い。


 横を向いた仁王くんが私に見せる頬に、紅葉の形がジワジワ浮かび上がってくる。

 紅葉が完成する前に、仁王くんがゆっくりとこっちを向いた。



「殴られついでにもう一つ言うがの」



 仁王くんが不敵笑った。

 頭が沸騰している私は冷静に考えることができない。


 仁王くんのペースに流されているのは、それこそ私が殴り掛かってからずっと。

 わかっているのにブレーキがかけられなかったのは何故か?

 理由を考える余裕もない。



「お前さん、なんで殴りかかってきたんじゃ?」



 一番はじめに聞いてきたことを、再び彼は問いかけてきた。最初とは違って、悪意たっぷりに。



「昨日のことで怒ってやったわけじゃなかろう。

 …まあ怒っとったからここまできたんじゃろうが…もし昨日からの勢いなら、わしと運営委員が話していても飛び込んでくるはずぜよ」



 実際、ブチ切れた私には柳生くんの制止なんて全く聞こえなかった。

 怒り心頭の為、言葉が話せない私に、仁王くんは悪役もかくやと言うほど堂に入った歪んだ笑みを見せ、



「お前さん、わしのこと好いとるんじゃろ?」



 その瞬間。


 頭の先に登っていた熱が、ストンと一気に指先足先に落ちて蟠った。



 目の前が真っ白になって、考えるのも体を動かすのも億劫になる。


 ああ、本当だ。

 ぶちきれると頭が真っ白になるって言うのは、こういうことを言うんだ。まるで貧血みたい。



















「ああそうだよ!好きさ!大好きだよ!」



















 覚えていないが(後で柳くんに教えてもらったが)私はそう叫んだらしい。

 マジで?