来ない。
19時。仁王くんの言うとおり、ほとんどの生徒が下校中だった。
だが、仁王くんが出てくる様子はない。
「ん?」
「!」
掛けられた声に驚いて振り返ると、真田副部長が相変わらずの厳しい顔で立っていた。
「真田副部長、お疲れ様です!!」
「うむ。部の方はどうだ?」
「良好です。副部長がいないので、もっとだれると思っていたのですが、幸村部長が時々いらしてくださるので」
「そうか。精市らしいな」
「はい」
「…ところで、お前は何をしに来たんだ」
正直に言ったら、私も仁王くんもぶっ飛ばされるんだろうな。
「あ、仁王先輩とちょっと景品のことで」
「何!俺は何もきいてないぞ!」
やべ。
湾曲するにしても、ちょっと正直過ぎたか?
「す、すみません!昨日たまたま、仁王先輩が女の子向けの景品を探していると聞いて届けに」
「そうか、なら預かろう」
「え!?」
「俺もスマッシュdeビンゴを運営している者だ。異論は無かろう」
わぁお、わかっていたとは言え、こうも真田くんに洒落た英文字が似合わないとは…。
「で、でも、仁王先輩に頼まれたものですし」
「仁王は多分もうしばらくでてこないぞ」
しどろもどろに言い訳する私に、救いの神のような澄んだ声が降り注いだ。
「柳」
「柳先輩、お疲れ様です」
「ああ、お疲れ。…ところで、二人してこんなところでどうしたんだ?」
「いや、実はがな。仁王に頼まれて景品を持って来てくれたらしいのだ。それで代わりに受け取ろうとしていたところだ」
「い、いえ…その…」
「ふむ」
独断で決めてしまった事情を話す真田くん。抗議したいが上手いことが言えない私。
そんな二人を見て、柳くんが言った言葉は、
「弦一郎に渡した方がいいだろう。仁王はまだ帰らないだろうし」
「でも…」
「行き違いになるのが心配なら、メールの一つでも入れておけば大丈夫だろう」
やっぱりだよ!
私より真田くんの味方だもんねアンタは!
まあこんな事もあろうかと、ダミーを用意してきたのだが…。
味方を失った私は、しぶしぶカバンから動物のポストカードがいくつか入った袋を取り出した。
「これです。数はもっとあるのですが、景品としてふさわしくなかった場合も考えて見本用に数種類しか持って来ていなかったので、渡し辛かったのですが…」
私の言い訳に、真田くんの後ろで柳くんが「うまいな」と言う表情をした。
まあ写真のカムフラージュの為に用意してきたものだから、今出してもまずくはないんだけど。
「ほう、そうか。…いや、十分だ。明日にでも運営委員に伝えておこう」
ぴくっと、私と柳くんが『運営委員』の名称に反応した。
「…では、失礼します」
「ん?駅に行くのではないのか」
「いえ、実は寄るところがありまして。そのついでに持ってきたようなもので」
「そうか。まだ日がのびているとはいえ、もうこんな時間だ。遅くならないうちに用とやらをすませて帰路につけ。いいな」
「はい」
個人的にもそれを望んでいますがね。
真田くんと柳くんに挨拶をして別れると、私は別の場所に行く振りをして角を曲がった。
うー…真田くんがいる前じゃあ渡せないだろうから、通りから真田くんがいなくなってから仁王くんも出てくるだろうし。
「…………」
角からそうっと通りを覗くと、柳くんが何か言いたそうにしばらくこちらを見ていた。
やがて真田くんに呼ばれて去っていったが…。どうしたんだ?
気を利かせたわけじゃなくて、これは私の都合なのに。
柳くんの中で計算した確率が五分五分と言うところだったのだろうか。あとでフォロー入れておこ。
あ!焦りすぎて、今日の部活のデータを渡しそびれた!もしかしてそれで待ってたのかな?
運営委員の子なら、こんなミスなぞしないだろうに…。
気分が沈んできたあたりで、真田くんと柳くんの姿は見えなくなった。
ふぅ…。
私はもう一度通りに戻り、閉まり掛けの門の近くに腰を下ろす。
しかし、でっかい建物だよなぁ…。金持ちの考えることはイマイチわからん。だって利益無いだろうに。
紫色に染まり始めた空を見上げ、携帯をあけてみた。19時28分。まだ出てこない。仁王くんからの連絡もなし。
「…………」
もしかして、忘れてるのかな?
柳くんが「しばらくは来ない」って言ってたよね。なんか急用でもできたのかな。
いつもならそういうの、ジャッカルくんとかに任せて逃げるくせに。
「…………」
19時48分。
しかし、この会場、本番まで部外者立ち入り禁止ってどういうことかね。幸村くんは、部長だから入れたんだろうけど…私はマネージャーだし、入れるのかな…。
…門閉まり掛けだし、周りに人もいないなぁ…。
「…………」
携帯をあける。20時32分。
連絡はない。
もういっそ電話してやろうか。
アドレス帳から『仁王』を探し、受話ボタンを押す。
ツ、ツ、ツ、プルルル…
「お客様のお掛けになった電話番号は電波の…」
ピッ!
電源落ちてる!?
つーか、もしかして故意?いやいやそんな、流石に仁王くんでもそこまでひどくないよ。
「…………」
20時58分。
どうしよ。
いっそ帰るべき?
だってさ、呼び出しておいて、二時間待たせても来なくて、電話にも出ないし。
「アーン?お前、なにやってるんだ。そんなところで」
いきなり声を掛けられ見上げると、たしか…氷帝学園の跡部くんが居た。後ろにはパワーテニスの樺治くんもいる。
主催者のお出ましだよ!
困ったな…。下手な言い訳は命取りだ。
こうなりゃ、正直に言うしかない。
「あ、私、立海大のマネージャーです。仁王くんに呼ばれて来たんですけど、まだ出てこないみたいで…」
「なんだと?おい樺治、館内に人は残って居なかったんだろうな」
「ウス」
「で、でも私、ずっと此処にいました!」
「…フン、隠れでもしたか?まあいいだろう、少し探してきてやる。もう少しそこで待ってろ」
「あ…は、はい!ありがとうございます!」
「行くぞ樺治」
「ウス」
わー!なんか想像よりいい人だった!
いよ!跡部様!日本一!
心の中で訳の分からんエールを送り、私は元居たいちにちょこんと座り直した。
「…………」
21時半ちょっと前。
流石に辺りは真っ暗だ。
…なんでこんな時間まで待ってるんだろ私。なんか悔しい。
「!」
人が来る気配がして立ち上がると、跡部くんと樺治くんが会場から出てきた。仁王くんはいない。
「えっと…あの…」
「仁王は居なかった。大方見落としたんだろう」
「…そう…ですか…」
「…明日真田辺りにでも説教させとけ」
「…いえ…ありがとうございました。わざわざすみません」
「気にするな。…行くぞ、樺治」
「ウス」
「お前も早く帰れよ。…送っていってやりたいが、このあと急ぎの用事があってな」
「いえ…そんな」
「じゃあな」
「ウス」
「はい…」
樺治くんが門を閉め、跡部くんが鍵をかける。
やってきた黒塗りの車に二人は身を滑らせ、去っていった。
「…………」
なにしてんだろ私。
いつ見落としたんだろう。
そもそも、私が見落としたってなんだ?アイツが呼び出したんだから、アイツが私を探すのが通りだろう。
もう一度電話を掛けてみる。
ツ、ツ、ツ、プルルル…
「お客様のお掛けになった電話番号は…」
ピッ!
「んだよチクショウ!」
携帯を地面に叩きつけたくなって握った手を振りあげたが…やっぱり止めた。
携帯に罪はない。
「…………」
メール作成画面を呼び出して「帰るね」とだけ打ち込んで送信した。
せめてもの報復。罪悪感に一時でも苛まれればいい。
…苛まれなければ、それこそ馬鹿みたいだけど。
共同の悪巧みはいつものことだけど、今回は文化祭の仲間に入れるようで嬉しかったのに。
柳くんとは違う形で、呼んでくれたと思ったのに。
これは甘え?
自意識過剰?
…確かに人から掛けられたらうざったい感情な気がする。
必死で目を擦る。
なんで涙が出るのかわからない。
どうしよう。生理かな。
こんなことで泣くなんて、すごく癪だ。
すっかり遅くなってしまった。
どんなに家路を急いでも、電車は必要以上に急いでくれない。
この不良娘!と怒られるのを覚悟で、駅から走って帰ると、柳くんの家を通り過ぎた辺りで携帯がなった。
『着信 教授』
柳くんからだ。
私は思わず足を止めて、少し後方にあるバカでかい屋敷を見る。
「はい、もしもし」
「か。今家の前を通ったように見えたが」
「そうだよ。まだ近くにいる」
「そうか。少し待っていてくれないか」
「へ?いいけど…」
なんじゃ?
「今日の分、まだもらっていなかったからな」
「ああ、なるほど」
「では後程」
「うん」
うーん、まあこれで柳くんに家まで送って貰えれば、両親へのフォローに役立つだろう。
なんてことを考えながら、手持ち無沙汰に携帯をいじっていると柳くんが小走りでやってきた。
「やほ、さっきぶり」
「ああ。呼び止めて悪かったな」
「ううん、その代わり家の前まで送ってね」
「ああ、いいだろう」
「ええと…これが今日の」
「ありがとう」
鞄から取り出し、柳くんが静かに受け取り、街灯の下でページを繰りだす。
街灯に夏虫がガンガン当たっている音がして、いつ落ちてきやしないか冷や冷やしながら、彼が読み終わるのを待った。
「…」
柳くんが躊躇いがちに口を開いた。
「うん?」
「…こんな時間までどうしたんだ?」
「…………うん、ちょっとね」
「…そうか」
言い淀む私に、柳くんは相づちを打っただけだった。
ペラっとページをめくる。
「…ああ、そうだ。」
「…うん?」
「これを」
そう言って、柳くんが袋に入った箱を渡してきた。
箱にはドライアイスの袋がくっついている。
「くれるの?」
「もちろんだ」
箱を開けると、中には和菓子が入っていた。
綺麗で涼しげで可愛らしかった。
「誕生日おめでとう」
予想していなかった言葉に、思わず箱を取り落としそうになった。
「物を買いに行く暇がなくてな…初めて作った和菓子だが、なかなかうまくできたぞ」
「はは…もちろん真田くんにもあげたんでしょ」
「まあな」
「私はついでかよー」
軽口にもいつも以上の力が入らなかった。
顔があげられない。
俯いたまま、一つ摘んで食べる。ふんわり甘い優しい味が口に広がる。
「…おいしいじゃん、ありがとう」
「どういたしまして」
「あー…去年も柳くんにしか祝ってもらってない気がするよ。あと乾くんか」
「お前は自分で誕生日を忘れているからな」
「そう!夏休みだから日にち感覚がなくてさー。毎年あんまりイイコトないし」
今日だって。
「…明日は部活を休んで、手伝いに来るか?」
「え?」
「…急にお前がいなくなったら部員が困るから、午後に来るといい」
「…私今行ったら、仁王くんぶん殴るよ」
「準備に支障をきたさない程度で頼む」
さらっとすごいことを言う柳くん。
私はおかしくて笑ってしまった。箱を落とさないようにするのがすごく難しかった。
「運営委員に見つかったら?」
「仁王がごまかすさ」
「自分が都合がいい方にごまかすよきっと。絶対悪者にされるよ私」
「…それでもお前は構わないのだろう?」
柳くんが少し同情を込めて言ったように聞こえた。
構わない?そりゃあ構わないさ!運営委員にどう思われようとも!
私はやっと取り戻した気力で持って、にやりと笑った。上手く悪い顔になったと思う。
「じゃあ明日ね!」
「ああ、楽しみにしてるよ」
私の家の前でいつもより元気に挨拶をして、柳くんを見送った。
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