かみさまのゆめ。













「綺麗な翼だね」



 ようやく言えたその言葉に、は艶やかに笑ってみせた。

 その時初めて、僕はテニス以外の事で背筋がゾクゾクした。












 同じクラスの窓際の、一番後ろの席の女子だった。

 特に気にしたことはない、大人しい子だったと思う。かと言っていじめられているわけでもなく、よく友達同士で何かを囁きあって笑っている様子を何度か見かけた。


 今までずっと意識していなかったを気にし始めたのは、あの日の放課後。

 部活が終わり、教室に英語のノートを忘れたことに気づき、部活仲間と別れ一人教室に戻った。


 なんでそうしようと思ったかはわからない。教室を斜めに突っ切ればいいものなのに、その日はわざわざ一番後ろを通り、窓際の席を数えるようにして自分の席に向かった。


 僕の席はの席より3つ前。前からは二番目。教室の前から入った方が断然早かったのに。

 の席を横切った時、机に掛けていた手提げ鞄に当たってしまい、床に落としてしまった。

 慌てて鞄を持ち上げると、鞄の中から小物が幾らか落ちていた。


 リップクリーム、生徒手帳、根元が血に染まった小鳥の翼。



 明らかにそれは異質すぎて、初めはそれが何かわからなかった。



 カピカピに乾いた血の染み、艶を失った翼。羽根ではない。鳥の翼を根本から切り取ったような、まるで羽根箒のようなそれ。



「……っ!」



 拾い上げようとして、指先が凍り付いた。

 これは…どうみても玩具やアクセサリーではない。



「大丈夫だよ、不二くん」



 教室に静かに響いた女子の声に、がたんっと机にぶつかりながら慌てて立ち上がった。


 だった。


 出入り口を塞ぐように立ち、こっちをじっと見つめていた。



「消毒済みだから」



 寄生虫はいないよ、と言った。

 その姿は、どこか怒っているように見えた。

 静かに静かに、僕の行為に怒っていた。

 その怒りを受けて、僕は、



「綺麗な翼だね」



 ようやくそれだけ言った。

 しかし、笑みは自然に浮かんできた。

 こんなにゾクゾクしたのは、テニス以外で初めてだったからだ。

 その言葉を受けて笑ったは、誰が見ても"大人しい子""普通の子"なんて言えないだろう。



 こんな、艶やかな笑みは、例え姉さんでも真似できない。






 その後どうやって帰路についたかは記憶にないけれど、それ以来から目が離せなかった。

 次の日、は平時通りに過ごしていた。僕と言うクラスメイトに自分の狂行がバレたのだから、何かしらリアクションを起こすだろうと期待していたのだが、全くいつも通りだった。

 無理に普通ぶっているのかと思えばそういう様子は見受けられない。彼女にとって、鳥の翼を切り落とすことと日常生活は大差ないのだろう。

 その結論は、どこか不気味で滑稽な気がした。あの妖艶な笑みは一体どこから現れたのだろう。

 あの笑みは、このままの関係じゃあもう二度と見られないに違いない。

 まるで一夜の夢のようだ。

 熱に浮かされたように、覚めない悪夢のように、あの笑みがちらついて離れない。

 でも、だからといって、あの笑みの為に、道を踏み外す気はさらさらない。

 何のために、今まで笑顔で穏便に過ごしてきたのかわからなくなる。

 ちらりと視線を向ければ、いつも通りの面白みのない笑顔で、友人とお喋りしているが居た。

 外は綺麗な快晴だった。

 窓際の彼女に一心に降り注ぐ夏の日差しは、彼女をより一層"普通"にさせるのに一役買っていた。

 あの笑みが浄化されていくようで、僕は不機嫌にカーテンを引いた。






 を目で追い始めてから、一つ気づいたことがある。

 は何故あの時間まで残っていたのか、その理由。

 は、男子テニス部の練習をよく見ていた。

 飽きもせず、毎日というほど。

 そして、目は、いつも英二を追っていた。

 教室に居るときも、そして練習中でも。

 それを確認するたびに、何故かいつも嫌な気持ちになった。







 ある日の練習中、フェンス越しにに声を掛けてみた。

 汗を拭きながら近づいていく僕を見て、彼女も縁石から腰を挙げ、砂埃を落としながら、フェンスに近づいてきた。



「お疲れ様、不二君。なんの用?」

「用って言うか・・・用があるのはなんじゃないか?」

「私が?」

「僕じゃなくて、英二に、だったかな」

「・・・・・・・・・」



 人当たりの良い笑顔がすっと引っ込んだ。



「どうして」



 まるで言わなければならない、とわかっているような口ぶりで、月並みな言葉を吐く

 そう口では"普通"を忘れずに、しかし、一歩こちらに近づいて金網をがしゃんと掴んだ。

 誘われるように、僕も顔をフェンスに近づける。

 普通の子なら、この距離になれば、恥ずかしがるか怖気づく。しかし、彼女は、物怖じしない瞳で僕を見返してきた。



 ぞくっとする。



「ずっと見てれば、分かるよ」



 君を、とは言わずに、かしゃん、と彼女の握っている場所すれすれに、僕はフェンスにもたれる。

 溜まらず込上げて来る笑みを、僕は惜しみなく彼女に見せる。




 パコーンッ・・・




 テニスの音に、ハッとしたように、はコートの方に視線を移した。

 動きにつられて、僕もコートに目を向ける。

 英二が試合をしていた。

 相変わらずの身軽な動きは、まるで背中に翼が生えているかのようだ。




 ・ ・ ・ つ ば さ ?




「不二くん」



 頭で考えた比喩表現が、捜していたパズルピースであるかのように、奇妙な符合を示す。

 の「どうして」に続くはずだった言葉。

 それは、「どうして、分かっているのに、そんなことを聞くの」。もし言葉が続いたなら、彼女はそういったのではないだろうか。

 呼ばれた声に振り向けず、ごくりと唾を嚥下する。

 いつから、彼女は切り替わっていた?

 本当に、彼女にとって、普通と異常の境界線はないのだと改めて知る。



「菊丸くんに、何かをしてもらいたいとか、そういう用事があってきてるんじゃないよ」



 笑いを含んだ声を受けて、ゆっくりとの方を振り返った。

 彼女は僕を見ていず、視線は英二に釘付けのまま、言葉だけを口にする。



「あんなに綺麗な翼、見たことない」



 うっとりという彼女のその台詞だけ聞けば、まるで夢見る乙女の可愛らしい想像を聞いているようだ。

 しかし、現実の彼女は、そんな夢見がちな少女ではないことを、僕は知っている。
 

 ほしい。

 幻聴が聞こえた。

 実際に小さな声で彼女が呟いていたのかも知れないが、彼女の唇は動いていなかった。

 僕は魅入られたように彼女を見つめるしかできなかった。






ほしい。ほしい。ほしい。ほしい。ほしい。ほしい。ほしい。ほしい。ほしい。ほしい。ほしい。ほしい。ほしい。ほしい。






 と、唐突に耳をふさぎたくなるような幻聴が止んだ。

 それまで、まるで僕とは別世界に区切られていたように感じるくらい、すぅっと現実感が戻ってきた。

 肌の周りの空気に温度が戻り、汗ばむのがわかる。

 蝉の声もよく聞こえる。



「ほほーい!不二ー、そんなところで何して・・・にゃ?さん?」



 英二がいつの間にか近づいてきていた。

 気づかなかった僕は、生返事を返す。

 英二は僕とを交互に見比べた後「にゃ〜・・・お邪魔だったかな?」と困ったように笑った。



「き、菊丸くん!?」

「にゃ!?」



 突然、が上擦った大きな声を上げた。



「あ、あの、アクロバティック格好よかったよ」



 そう言って、頬をそめてニコッと首を傾げるように彼女は笑った。


 誰だ?


 さっきまでとは全然違う、ただ英二に恋する女の子がそこにはいた。

 さきほどまでのを知らない英二は、彼女の偽りのない好意の賞賛を受けて一頻り照れたあと「次は不二の番だぞ〜」と捨てセリフを残し逃げていった。

 は、逃げていく英二を目で追いながら、少し俯いて一言、



「だから、あの翼は奪えない」



 それが、僕に対して言った言い訳だと気づくまで少しかかったが、声に乗っていた色が同情を誘い、気づくまでの間、僕はがどうしたら幸せになれるのか、などというくだらないことを考えてしまった。

 その答えが僕ではないことが、酷く皮肉で、何故か苦しかった。






次  



あとがき

 舞城王太郎作「熊の場所」のパロディっぽくなってしまった事をお詫びします。

 不快になった方、申し訳ありません。

 また、知らない方は、一度読んで見ることをお勧めします。

 題名の由来は「小動物を相手に、生かすも殺すも自分次第ってなると、まるで自分が神様か何かのように思える」とゆーアレです。

 御狭霧はモルモットですら殺せない小心者です。が、害虫は殺せる神経は持っています。


 読んでくださってありがとうございました!
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