仮面と敵と空を舞う
私を守る女性護衛兵、4人。
何故こんなに少数なのかと言えば、此度の戦に置いて自国軍は敗走を余儀なくされ、城に居た私は国主である父と母と別々に逃げている最中だったからだ。
私は手を後ろに縛られている状態で椅子に座らされていた。他の四人は床に転がされている。
私は眼を閉じて、ゆったりと深呼吸をした。
公主に武力はない、そう踏み切り比較的自由にさせ部下を雁字搦めにして目の前に転がせておく。
人で作った牢獄から、それを壊してまで己を貫けるお姫様なんてそうそういない。
私を捕らえた敵はそれなりに頭が良いようだ。
カタリ、と音がして、扉の開いた気配に目を開く。扉の向こうはお世話にも明るいとは言い難い。
私がいる室内は、窓もなく蝋燭が灯す炎が闇を打ち払うだけで、とうに時間感覚などなくなっていた。今は夜なのだろうか。
「ご気分はいかがですか」
爽やかな青年の声に私は顔を上げた。知らず知らず俯いていたようだ。
共を連れて現れた青年は、童顔で柔和な表情を浮かべていた。
とても無体なことをしそうに視得ないが、武術も知略も他国に名が伝わるほどの将である。
姓に陸、名を遜。字を伯言と聞いた。
「今はまだ大丈夫です。お気になさらず」
私はニコリと微笑んだ。
心優しい軟弱者なら少しは動かされただろうが、陸遜は少しも動じずにただ微笑んでいた。
「公主とも在ろうお方をこのような場所に閉じ込めて申し訳ありません」
「ですから、お気になさらず、と。陸遜様」
名を呼ぶと、ほ、と陸遜が笑った。
部下が彼の名に様を付けたことに、視線で抗議してくるがやんわりと黙殺した。
「私の名を御存じで」
「ご謙遜を。知らない者などこの三国に居りましょうか」
「それはそれは。お褒めに預かり、恐悦至極」
くすくす、と邪気無く笑う顔を見ながら、彼が連れてきた兵士を見る。だれも彼より一回り以上は大きい。
いくら武術に優れていても、女の身で力技には勝てないだろう。
顔に笑みを刻んだまま、心の中で、見殺しにしかねないことを部下に詫びた。
「さて、何故私どもを留め置きになるのでしょう?さして価値などないと思いますが…」
「分かってらっしゃるのにわざとそのようなことを言うのですね。」
陸遜が、子供を窘める親の様な口調で、やんわりと私に圧力をかけた。
こちらから問えば、その情報を知っていると思われる。
もう既に彼が聞きたい情報を知っていると思われているからこそ、私はここにいるのだが、故に迂闊に言葉を発することはできない。
陸遜の情報欲求を満たした瞬間、私たちは用済みとなる。
私は買いかぶられては困る、と言いたげな顔を陸遜に向けた。
「そのようなことは御座いません。本心より疑に思ったまでで御座います。」
表情と口先の演技は、なかなか上手いものだと自分では思っている。
腹芸の一つでも出来ぬようでは、一国の主の娘などやってられないからだ。
しかしてそれが陸遜に通用しただろうか。私の言葉を聞いて、陸遜は毒を含んだ微笑を浮かべた。
「面白い方ですね。・・・いいでしょう、率直に聞くことにします。
お父上は何処に落ち延びましたか?」
あまりにもな直球に私は立場を忘れて失笑してしまった。
陸遜の後ろの兵が私を睨んでくる。
その為私の護衛兵が少し殺気だったが、私は構わずに少し困ったように微笑んだ。
「存じません」
しゃあしゃあと言ってのけた私に、陸遜は笑みを浮かべたまま軽くため息を吐いた。
「そんなわけないでしょう?この先劉備殿と合流せずに、貴方に生きていく術などないのですから」
「まあ、心外ですわ。こう見えても、少々菜は嗜んでいますのよ」
「それは失礼いたしました。是非一度味わってみたいものですね」
「ええ。機会があればお作りいたしましょう」
それは楽しみですね、と笑う言葉には浮かべる笑みほど暖かいものは通っていなかった。
飴と鞭の交渉術。一番無駄がなく、人に口を割らせる方法。特に、場慣れしていない相手には。
鞭は後ろに控えている兵士たち。陸遜は飴役。
優しい笑顔には、すこしも優しさなど流れていないことを知っている。
そう、この人は、私が確実に知っていると思ってここに連れてきている。
今は、まだ、そう思っている。
「機会を作るためには、我らが友好的にならなくてはいけませんね」
「そうでございますね」
「なら尚のこと、お教え願えませんか?」
「知らないことを言ったりはできません」
「痛い思いはしたくはないでしょう?」
「まあ、怖い。そうですね、生憎そういう趣向は好きになれません」
答え方を間違って、相手を失望させてしまってはいけない。
歯を食いしばる代わりに握り締めた手が、痺れて感覚がなくなってきた。
「そうですね、私としてもあまり好きではないんですよ」
陸遜の笑顔を見ながら、見えないように拳を握りなおした。
”いいのか?”
”殿も趙雲様も優しすぎますよ。私は部下ですよ?”
”殿には黙って置く、とは”
”殿に知れたら許しては置かないのではないですか?”
”あの方は、そういう方だからな・・・”
”今日のうちに、姫と私を入れ替えて置きましょう。
仲間内には「今日は体調が優れない」と言い、そのような演技をしておきましたから、明日姫が武器も持てずに逃げても仲間には不審に思われません”
”・・・辞める気など微塵もないのだな”
”自分で言い出したことならば。私より、私に付き添う者の方が可哀相ですね。”
”武運を。生きてまた逢えることを祈る”
”趙雲様もご無事で。殿と蜀の未来の安寧を”
・・・・・意識が飛んでいた。私としたことが。
私自身は、少しも損なっていない。精々精神的圧力に負けそうになっているくらいで。
どれほど時間がたったのだろう。
足元に、身体と矜持をズタズタに傷つけられた護衛兵が転がっている。
人で作った檻。
捕まったときから覚悟していたが、実行されると意外と耐えるのがきつかった。
「お気づきですか?」
声をかけられてそちらを向く。微笑んでいるのは相変わらずで、一瞬この凄惨な状況を忘れそうになった。
「陸遜様」
顔の筋肉をなんとか笑みの形にさせようとした。成功したかわからない。不気味になっていなければいいが。
時間。とりあえず、時間を知りたい。
「今日は、外は晴れていますか?」
「ええ」
晴れ。昨日。捕まったときも晴れ。昼か?夜か?
「それでは、鳥が鳴いているでしょうね。呉国に燕は飛んで来られますか?」
「ええ。今日も空を舞っていましたよ」
鳥が飛ぶ。日が昇っている。捕まったのは夜。今は次の日。
時間だ。
私は立ち上がった。手は縛られているが、足は縛られていないのだ。
陸遜が不審そうに眉を顰めた。
「外に、連れて行っていただけませんか」
「ご冗談を」
「私は本気です」
「尚悪いですよ」」
「話します」
陸遜が目を大きく開いた。驚いているようだ。
そりゃそうだ。こんな手の返し方はないだろう。
「聞きたいこと全て話します」
「ここで言えないんですか?」
「逃走されるとやっかいですか?こんな場所で逃げられるとは思ってませんよ」
「・・・何がしたいんですか」
「呉の燕がみたいだけです」
「・・・貴方以外の方は、ここに置いていきますよ?」
「ええ、構いません」
床に居る護衛兵一人と目が合った。私は軽く笑み、向こうは頷き返した。
「では、こちらへ。公主」
腑に落ちないようではあったが、それでも笑顔で私を外へ連れて行った。
手は拘束されたまま。当たり前だが。
暫く進む内、明るい日差しが顔に当たった。
光に眼を細める。向こうで陸遜が少し笑った。
あ…。
私は呪縛を解かれたような気分になり、もう少し後で格好よく現す筈だった正体を、思わず告白してしまった。
「陸遜様」
「はい」
「私、実は劉予州殿の娘ではないのです」
陸遜は、何を言われたかわからない、と言う顔をした。
私は苦笑いを帰した。それはそうだ。
「公主様は、私に化け、すでに落ち延びました」
「…なにを」
「本当です。それに私たちは敗走先を本当にしりません。何せ敵に捕まる為の部隊ですから」
「…貴女は」
「私はと申します」
「……。孫夫人を迎えに来た時、趙雲殿の配下に居た方ですか…?」
私は驚いた。まさか彼が覚えている訳がないと思ってたからだ。
「よく、ご存知で…」
声が震えた。大袈裟だが涙が出そうになった。
「自ら暗示をかけたとはいえ、我ながらうまく化けたと思いました。何せ陸遜様を騙せたのですから」
剣ダコを隠すために手袋を、肌を見られないように長い服を、綺麗な公主と見られるように白い化粧を。
「貴方自らが私を捕縛したら、そうもいかなかったでしょうけど」
嘘がばれないように、偽の行き先と自らを公主だと信じる暗示を。
解除は日の光。
半日あれば皆落ち延び、私たちは用済みになる。
「何故ですか」
「え?」
「公主であればまず殺されることはありません。なのに何故告白するんです?」
私は視線をずらした。
何故と言われれば、死ぬ前に『私として』言いたいことがあったわけで…。
私は気恥ずかしさに赤くなった。
玉砕することがわかっているだけに、自分のすることは子供の駄々のようで。
「…陸遜様を、ずっとお慕いしておりました」
顔が上げられない。
うつむいたまま言っているため、陸遜がどんな顔をしているかは伺いしれない。
「これだけを伝えたくて…」
さあ後は死ぬだけだ。
偽の公主は生きてられると邪魔なのだ。
呉とっては都合がいいかもしれないが…偽でも蜀が公主と信じればいいのだから。
陸遜が私の近付くに来た。
頬をそっと触られ、顔を上げさせられる。
陸遜はなぜか泣きそうに笑っていた。
「明るいところで見れば、確かに殿ですね…」
「…すみません、元が公主みたいに綺麗ではなくて…」
「綺麗ですよ」
「は?」
「化粧をした貴女は、誰かわからないくらいに…」
陸遜の唇が、私のそれと重なった。
それは甘いだけのものではなく、
口移しで送られたなんらかの薬を、私は自覚して飲み込んだ。
「私は、貴女にもう一度お会いしたかった。
…捕まえた公主を見た時、一瞬ぎょっとしてしまったのですが…それは間違いでなかったようですね」
「自ら、計略に引っかかってくださるとは、お優しい…」
薬のせいか、めまいがした。
足から力が抜けた私を、陸遜が抱き止めてくれた。
「優しいですか?」
「優しいですよ…」
「そうでもないですよ」
「優しいですよ…」
瞼が降りてきているのか、そうでないのかの感覚もなく、視界が黒く染まってきた。体が酷く重い。
「アナタを…ずっと…慕っていました」
言ったのはどちらか、もうわからない。
呉の春は、とても暖かだった。
終
あとがき
大丈夫です。さんはきっと生きてますよ。
きっと陸遜が色々誤魔化して、ねぇ・・・、きっと。
読んでくださってありがとうございました!
|