3.かわせますか?




















「義兄!」


 涼やかな声が耳に飛び込んできた。

 振り向いた先には、柔らかい日差しを受け、頬を高揚させて私を呼ぶ従兄弟の姿があった。


「良い人とひなたぼっこですかい、陸議さん?」


 嫌みったらしい間延びした声が、さくさくと柴を踏む音と共に耳を掠めた。

 つい反射的に公紀を庇うような形で、筋肉を固くする。

 私の様子に、背に庇った公紀が驚いたようだった。


「そう邪険にしなさんなや?もっとも馬に蹴られる気もないですからなぁ」


 にやにやと小馬鹿にした笑みを浮かべて、腕を組んで立って居たのは、やはりと言うかだった。


「…なんの用ですか」


 面倒だった為に、彼女の揶揄を訂正せずに、追い払う為の理由を探した。

 口調が疲労を帯びてしまったのは、彼女の性格にいい加減うんざりせいもあったし、揶揄する内容が内容だった為もあった。


「いえ?ただ有能な部下には紹介くらいしてもいいんじゃないですかぁ?」


 誰が有能だ、と内心毒づく。

 もちろん私の従兄弟は、この女性が人として最低限の常識も守れないような生き物だと言うことをしらない。

 私の知名度は呉国内ではさほど高くないので、その部下の知名度となると更に低い。

 変人ではあっても、それだけでは人の耳に残らないのは当たり前である。

 私は伺うように従兄弟を見た。

 公紀は、ただ私の部下が好奇心からあるいは私を守護するために、こうして質問していると思っているのだろう。

 私とて、真実を知らなかったらそう思う。

 が来た理由は、私の弱味を探るためと自分以外に私が殺されやしないか確認するために違いない。


「議…陸都慰殿、私もご紹介頂きたく存じます」


 私の心中を知ってか知らずか、公紀は公の立場として私に訪ねてきた。

 世が世なら、ゆくゆくは陸家を束ねる存在だったこの従兄弟は、私より幼いながらも状況判断に優れている。

 公としたことで、余計な詮索は無用と雪華に牽制したのだ。


「私の部下の周武官です」

です。女性故に字は御座いません。どうぞお見知り置きを」


 珍しく目上に対するきっちりした礼をとるに、思わず目をしばたいてしまった。


「私は陸績、字を公紀と言います。武官、陸都慰の御身よろしくお願いします」


 公紀には悪いがよろしくされたくはない。絶対。

 うなずくを見ながら、顔の筋肉を微笑の形に留め置くことに最大限の力を注いだ。

 なんの裏があるのか知らないが、従軍して初めてにも等しいくらいに部下として当たり前の礼儀を払っているのだ。下手に茶化す必要はない。


「では…陸都慰殿、後ほど部室にお邪魔させていただいてもよろしいですか」

「もちろんです。侍女に伝えて置きますから、私が不在でも中で待っていていただけますか」

「ありがとうございます。では、失礼を…」


 起拝する公紀に、私は同じ礼をして見送った。

 は珍しく大人しく、じっと積の方を見ていた。

 少し不穏を覚えて彼女の視界から積を遮る位置に移動した。

 その私の行動をみて、がにやぁと意地の悪い笑みを浮かべた。

 囁くように、


「恨まれてますなぁ…陸議さん?」






 体がギクリと強張ったのを感じた。






「なにが、ですか」





 きちんと発音できただろうか。



 は、すすすと音もなく私の横に素早く移動しながら、くすりと意地が悪そうに吐息だけで笑った。






「彼の人から、陸家当主の座を奪ったんじゃないですかぁ」




 ・・・・・・。

 感じた眩暈を、表情に出ないように気をつけた。

 この女性は、私のどこまでを知っているのだ。

 当主の座を奪った。それは、確かに合っていた。



 恨まれている、と言われるまでもなく、そうであっては厭だと常に思いながら、危惧していた。

 ただ、まだ彼が、子供時代共に遊んだときの笑顔で私を見てくれる間は、考えないようにしていた。






 …考えないようにして、救われたがっていた。






「違います」


 するっと出た否定の言葉をが一笑した。


「自覚がないたぁ、相当無神経なようで」

「当主の座を預かっているだけです」


 これは、事実。

 私は陸家直系の家柄とは言え、公紀の父は私の父の兄である。

 本来なら公紀が跡を継ぎ、私は傍流となり、私と弟たちを守るだけの家長となるはずだった。

 ただ、当主が死に、残された公紀はまだ12歳だった。

 元服するまで、と言う約束で代理当主に就いたが…。


「嘘はいけませんぜ、嘘は」

「事実です」

「真実は、あの人の足を悪くさせたのが答えじゃねぇんですか…」


 怒りが一気に背筋を駆け上り、衝動的にに裏拳をかましていた。

 が、そんな怒り任せの攻撃が通用する訳もなく、右足に痛みが走ったときにようやく、が拳を交わしながら蹴りを入れたのだと気がついた。


「ひゃは!図星ですかい」


 振り返ると、が楽しそうに嗤いながら、私から距離を取るところだった。

 落ち着け。

 体に命じる。




 落ち着け。落ち着け。落ち着け。落ち着け。落ち着け。






「薬でも盛ったんですかい?」





 落ち着け。落ち着け。落ち着け。落ち着け。落ち着け。





「それとも突き落としましたかい?いや、陸議さんなら自分でやらないでしょうから、誰かにやらせたんでしょうなぁ」





 落ち着け。落ち着け。落ち着け。落ち着け。落ち着け。





「それともどこかに閉じ込めたんで?七日ほど歩けも立てもしない場所に置いておけば、足腰が萎えてしばらく何もできなくなるらしいじゃないですかぁ」





落ち着け。落ち着け。落ち着け。落ち着け。落ち着け。





「…ほかには?」


 私が言うと、は楽しそうな顔を引っ込め不快感を露わにした。

 軽く舌打ちする音が聞こえた。


「夜道に気をつけた方がいいですぜ、陸議さん」

「忠告ありがとうございます」


 もう随分前から警戒を怠っていませんよ。

 礼も取らず、舌打ちして立ち去る彼女は、ふと足を止め、


「陸績さん、もう長くねぇな…」


 思い出したようにつぶやいて、今度こそ完全に去って行った。


 無感動にそれを見送って、静かに瞼を閉じた。

 陸績は病を受けた。足にくる病か足からくる病か分からない。

 私が久しぶりに本家に帰ったときには、もう手遅れなのだと告げられた。

 足が悪くても績には才があった。

 だから、孫権様の眼鏡にかない出仕を望まれた。


 私は良いことだと思った。

 例え足が悪くても私以上の才覚があることが皆に分かれば、当主の座を績に譲れる。

 誰からも文句がくることもなく。


 久しぶりの帰宅時に、私からも出仕を勧めた。

 そのときの、公紀の、目。



 隠れるようにして失望の色が泳いでいた。



 私が当主を承諾したとき、彼はどんな目をしていたのだろう。

 今までの自分の立場に、違う男が据えられる気分は。


 そのときはまだ笑っていたと思うのだ。何より彼が、「自分より適任だ」と言ってくれた。言われなければ、断固拒否した。

 でも、今は。



 「議兄」と昔の名で呼ぶ彼はの笑みは、確かにかつてとは違う気がしている。



 出仕するのが嫌だと、公紀がよく言っていると弟が言っているのを聞いた。

 私は、彼の口から聞いたことがなかった。









 自分は民より孫呉より、何より、身内が、自分の大切な思い出の方が大事なのだとの責め苦に気づかされた。

 こんなに幼稚な私には、彼女の嫌味全てをのらくらと交わせる力などまだないのだ。

 知らず知らず握り締めていた手の平には、爪のあとがくっきりと残っていた。















あとがき


 陸遜の従兄弟、本家の長男陸積さん。

 本を読むのが大好きで、インテリ系の幅広い人脈を持っている典型的な引きこもりな人です。たぶん。

 ちなみに、足が悪くなる前から本が好きだったそうです。

 14で人生を決めた陸遜と、12で今までの刷り込み教育を忘れなければいけなくなった陸積。

 陸積は短命だったため、19歳くらいで亡くなってしまっている為、資料等ろくに残ってません。

 私のなかでは、いつまでも子供の陸積です。それでこんなことになってしまいました。




 読んでくださってありがとうございました!