2.笑い声が聞こえる



















 笑い声が聞こえる。


 私の横で笑いながら人を斬って走る人物が居る。

 狂気に見開いて、それでも口元は楽しそうにして、血にまみれて。

 馬上からそれを眺めつつ、向かってくる矢を叩き落した。

 疳に触る嗤い声だ。

 のそんな様子を見ながら、ただ静かにそう思った。

 思うだけで何も言わず、それ以降、私は彼女を直視しなかった。

 ・・・直視、できなかった。















 基本的に誰にでも、ダラリとした体制で応じるは、当然の如く友人が少ない。

 しかし少ないだけで、まったく居ないわけではないのだ。信じられないことに。

 医者勧めてみようかと本気で悩んだ。一度となく何度も。

 その中で、頓にと馬が合っていた男がいた。確か、字を伯覇と言ったか。

 よく一緒にいるのを見かけた。

 その頃から、少し私へのちょっかいもやんで、よくやった!というか、押し付けて申し訳ないというか、彼に会うたびそんな気持ちで居たものだった。

 あれほど耳障りだったの嗤い声も、彼と楽しそうに笑っているときは普通の人のように見えたほどだった。

 も伯覇も、お互い部下の中では軍を抜いて武術に優れていた。

 戦場では誰に命令されるまでもなく、先陣を走って行った。

 ・・・そして、今回もそうだった。









 と伯覇は、戦場では私の近くに居た。

 散々私を殺そうとしている彼女だが、彼が私を守るからか、私を守ることに専念していた。

 彼が私の左側を、彼女が私の右側を。



「陸遜様!これ以上進むのは得策ではないと思いますが!」



 伯覇の声に私は後ろを振り返り、後続部隊が着いてないことを知った。



「そうですね…後続部隊を待ちます!この場を持たせてください!」

「「応!」」



 声を合わせ二人は左右から私の前に素早く移動し、私を少し前線から下げさせた。

 私は二人に先陣を任せ、補給路を絶たせないために二人を越えてきた兵を倒しながら、伝令に声を張り上げて答えたりしていた。

 やがて後続部隊が姿をみせ初め、



「後続部隊!これより先左右に別れて展開してください!伝令、銅鑼を鳴らせと伝」
「陸遜様!!」



 私の言葉を遮り飛び出した声を耳にした瞬間、



ド…っ!



 馬に寄りかかられ、見ると、顔と腹から矢が生えている人がいた。

 下に叩き斬られた矢が何本も落ちているが、落としきれなかったのだろう。



「ぐぁ…っ!お下がりください陸遜様!!」

「伯覇!」



 顔に刺さった矢を邪魔だと言わんばかりに引き抜き、私に進言を残すと、矢の向かってきた方へ駆けた。

 彼の名前を呼んで彼の行動を諌めようとしたのは・・・だった。

 彼が伯覇だとようやくわかった。

 私は、ぐっと奥歯を噛みしめ少しばかり後退して、伝令に先ほどのことを伝えた。



「伯覇!!」



 がそちらに駆けて行く。視線だけで見ると、彼は全く左側が見えなくなったようだった。

 左側からの敵の一撃を綺麗に体で受けたところだった。



「…っ!」



 私は司令官。

 彼以外の部下も同じように傷つき倒れた。

 人の死の上である役目だと認めたくないが知っている。



「衛生兵!!伯覇を収容してください!急いで!」



 私に言えるのはこれくらいで。

 倒れる伯覇をが支え、周囲の敵を一掃するのが見えた。



「伯覇!!」



 が伯覇を担ごうとした時、





 …ぉか…ぁ…さ…ん…、





 そう唇が動いたように見えた。





 彼のつぶやきを聞いたとたん、の動きが固まった。

 俯いているため表情はわからない。

 はゆっくりと、伯覇の予備の剣を引き抜いた。

 そして、




 彼にとどめを刺した。




 鮮やかに、苦しまない方法で。






「あははははははは!!」






 そのままは笑い出し、彼の剣を使って前に進み出した。

 私も伝令が行き、後続部隊も配置に着いた今、前に進まなければならない。

 彼の死体を置いていき様、ちらりと見た彼の顔は、左側すべてが真っ赤で、顔もひどかったが、表情だけは目を閉じているせいか穏やかだった。



「あははははははは…っ!」



 戦場の中で、私を呼ぶように、の笑い声がこだましていた。























さや…さやさや…



 夏場が近い夜である。程良く涼やかな風が葉を揺らす。

 夜風に乗って喝采を上げる声が聞こえてくる。

 我が軍は勝利した。

 反面、犠牲になったものもそれなりにいる。

 本来なら一軍を預かる身である私は、今このにぎやかな声の中に居なければならないのだが、勝利を祝う前に死者の弔いに出向いた。

 夏が近いと、死体が痛むのが早い。故に早々に荼毘にする。

 煌々と月光を遮るように燃え盛る炎を見ていると、その近くに座って剣を地面に突き刺しながら、じっと炎を見つめている人影を発見した。

 だった。

 少し迷ったが、私は彼女に話しかけることにした。



殿」

「なんの用ですかい、陸議さん。それ以上近づきますと、首がカッ飛ぶ危険がありますぜ」



 私の方も見ずに早口でまくし立てる。

 口調こそは常の通りだが、珍しいほど苛立っていた。

 不機嫌な顔を時々するが、いつもならこちらが苛立つくらいヘラヘラフラフラしている人だ。

 私は彼女の忠告通り立ち止まった。



「…酒でも呑みませんか?」

「今すぐ消されたいんですかい?」



 にべもない。

 差し込むように冷たい殺気が流れてくる。炎の近くなのに、うすら寒い。



「貴方がそんなに取り乱すとは珍しい」



 の肩がピクリと動いた。しかし反論はない。



「私にも弔いをさせてください」



 言い切る前に、体が反射的に後ろに下がった。語尾はうまく発音できたかはわからない。

 下がった瞬間、首筋を鋭い風が撫でた。

 炎に反射して煌めくそれが剣だと分かるより早く、地面に突き立ててた鞘が支えを失って倒れた、カラン、と言う乾いた音を耳が拾った。

 剣先を辿って行くと、憎悪と怒りに満ち溢れたの瞳にぶつかった。

 座っていた場所からただ私の方へ一歩を踏み出し、体重移動をするように低い体勢のまま、鞘から刀身を引き抜き私の首を打とうとした。

 目にも留まらぬ鮮やかな早業。女人の身で何故ここまで出来るのかと、いつもながら疑問に思う。



「寝ぼけたことを」



 ふざけた調子は吹き飛び、暗い瞳が一切の感情を乗せ忘れた声を放つ。

 つと、吹き付けられる殺気に身を屈める。

 頭上を、さらに踏み込んだの剣が貫いた気配がした。

 伸び上がりきった彼女の四肢に向かって、屈んだまま足払いをかける。

 はそのまま膝を引き上げる様にして飛び上がり、回避した。

 屈伸を使わずに跳躍した為、地上との距離は僅か。

 手首を返して剣を突き立ててくるを、転がって避ける。

 そして体勢を整えながら、髪紐を解き腰飾りをその先端に括り付けて重石にする。即席武器を両手で構えて、の隙を探る。

 突撃してきたの剣を避け、動きを読んでいたかのように繰り出した横薙ぎを高く跳躍して交わした。

 側頭部に蹴りを入れたが、左手で防御された。

 その反動を使って宙返り、紐をの剣を持つ手に向かって投げた。

 重石の付いたそれは狙いあたわずの手首に巻き付き、私が地面に降りると共に、血管ごと締め上げる。

 紐による締め上げは、手より表面積が少ない為、圧する力が集中してより効果的だ。

 血管収縮に伴う指先の痺れにが眉を潜めた一瞬の隙に、私は彼女の懐を蹴り上げた。

 その衝撃に力の入らなくなった指先はあっけなく剣を取り落とし、綺麗に入った一蹴には飛ばされた。

 引きずられないように、私は紐を離した。



「…ぐ……ぅ…っ」



 足で踏ん張り、地面に叩きつけられないようにしたものの、は鳩尾を抑えてうずくまる。

 舌打ちをし、手に巻き付いた紐を乱暴に解いた。



「私に負けるなんて、らしくないですね」



 剣を拾いながらそう言うと、が歯を噛みしめながら、声を押し出した。




「殺してやる…っ」

「直球な言葉を使いますね。いつもよりいっそ清々しいですよ」

「殺してやる…っ」

「今の貴方では無理でしょうね」

「…貴様は、…今も、今までも、これから先も…」




 剣を鞘に納めながら、の言葉に違和感を覚えた。






今 ま で も ?






殿」

「陸議さんよぅ…私はアンタを死なせないぜ」



 ゆらりとが立ち上がった。

 狂気に満ちた笑みはいつものことで、いつの間にかの立ち直りに疑問を問い損ねてしまった。

 続きを喋りながら、ゆっくりと私の方へ歩いてくる。



「どんなことがあろうとも」



 一歩。



「生かして」



 一歩。



「生かして」



 また一歩。



「生かして生かして生かして生かして」



 間近に近付くと、私の顔をじっくりと眺めながら、



「…取り返しが利かないくらいの怨みを背負わせてから、死を希うように徐々に体の部分を削ぎ落としていき」



 接吻をされるような距離で、夢見るように恍惚と、



「殺す」



 呪いの言葉を吐いた。

 絶句している私から遺品の剣を乱暴に奪うと、髪紐を私の手に絡ませて、失礼しやした、などと言いながら去っていった。








 私の過去と彼女の過去が、重なったことなどあったのだろうか。







 燃え盛る炎の中に酒瓶を放り込み、しばし黙礼した後、私もその場を去った。













あとがき


 私は銃で撃たれたり、誰かに刺されて死んでいくとしたら、最後の言葉は多分「ごめんなさい」。

 昔、貧血で気を失いかけたとき、真っ黒になっていく視界の中で「おかあさん、ごめんなさい」と何度も呟いたそうで。

 母が「私そんなに怖いのかしら・・・・」とショックを受けたそうな。

 戦争映画で「おかあさん」と言いながら死んでいく人たちを見て、

 戦争体験者(祖母など)に話を聞いたりして、

 死ぬ間際の「おかあさん」は私の中で結構壮絶な意味を持ってます。一生、生では聞きたくないです。

 できれば「こんな死に方、悪くはないな・・・」とか言って格好良く死にたいです。

 読んでくださってありがとうございました!